癸生川栄(eitoeiko)「下田富士殺人事件」(四日目)

 東急グループと西武グループによる観光資源の大争奪戦の結果、伊豆半島を南進する列車は稲生沢川沿いにその鉄路の終点を迎えることとなった。西武グループの介入がなければ鉄道は東伊豆道路、国道135号線を並行して走り、東から西に、あるいは現在と同じ場所を南から北に進んで終点が築かれていたかもしれない。ともあれ、昭和36年に伊豆急下田駅が開業した。
 下田を特長づける二つの山がある。ひとつは寝姿山と呼ばれていた。女性の寝姿を連想させるという変態的嗜好がその呼称の由来であるが、職業が性別によって分かれていた大昔、男性が狩猟を生業としていた時代の名残かもしれないということで大目に見られている。どうやら女性は南を枕に寝ているらしく、南端の岩峰はよだれ岩と呼ばれている。こうなったらもう逃げられない。名づけ親は立派な変態だと思う。その自覚と、できれば小さじ一杯の節度をもって強く生きてほしい。寝姿山は駅の東側にある。駅の開業と同時にロープウェイが開通し、現在も観光客を楽しませている。

 駅を挟んだ西側にはもうひとつの山、下田富士がある。
 下田富士は平地から唐突に隆起した文字通りの三角形をした岩山である。それもゆったりした三角形ではなく、辺りのなだらかな丘陵に対比して、鋭角に突き出たように見える。そのことによって、周囲からはひと際目立つ美しい山だったが、出る杭は打たれるのが世の常。なぜか民間伝承では本家富士山と八丈富士をあわせた三姉妹の長女として登場し、ごつごつした岩肌を醜い姉と形容されている。
 下田富士には別の顔がある。標高は191m、イデオン約2体分とそれほど高くはない。しかし、駅から200歩ほどで到達してしまう入口から一気に登っていくため、散歩のついでにサンダルで登頂するようなことは不可能である。それどころか、途中には断崖、柱状節理剥き出しの急斜面など、初心者の侵入を許さないいけずなお姉さんなのである。
 できれば観光案内所でシェルパを雇って登頂を試みたいところだが、嫌な顔をされそうなのでそれはおすすめしない。理由は登ればわかる。男はスニーカーにナイロンのパーカという出で立ちで石段を昇っていた。石段はすぐになくなり、凹凸のある荒い小道になった。途中何度か小さな社を通り過ぎると、みるみる標高が高くなる。
 市役所には、昼の昼食時間を削って往復登山に挑む猛者がいるという。役所内で力自慢の彼が「下田のサスカッチ」とヒソヒソ声で呼ばれていたかどうかはわからない。そんな都市伝説を思い出しながら、男は無言で歩を進めていた。ときたま、下山客とすれ違う。どうもおかしい。さっきから同じ人間が現れては、猛スピードで降りたり、いつの間にか追い越されたりしているのだ。猿(ましら)のように岩を登り、転がる石のように去っていく。
 ここは伊豆忍びの秘密訓練場だったのだ。忍びの一族は消防署や一般企業にも隠れていて、時間さえあれば何往復でもトレーニングしているという。これは本当の話である。東武グループから業務委託を受けた伊豆忍びが西武グループを抑えたために、伊豆急下田駅が開業できたのかどうか資料がないのでわからないが、事実として、山頂の祠の脇には、「ここに名も知れない歴史を書き留めておく」と記された木札が立っている。

 ある晴れた日、長女のお霜は山頂に次女のお藤と三女のお八を呼び出した。お藤あんたちょっと図体がでかいからって、文化遺産?最近調子乗ってんじゃないの?そんなことないわお霜姉さん。姉さんは背が低いから、人権がなくて可哀そうね。は、アタシだってご神体だし祀られてるし。やめてお霜姉さんお藤姉さん。二人とも争いはやめて。お八は黙ってな。黙ってないと口に明日葉突っ込んで海に流すわよ。 
 こうして6×9mほどの狭い山頂で揉みくちゃになってつねったり髪を引っ張ったりの大喧嘩がはじまったが、たまたま現場を目撃した男はただの観光客だったので遠くから黙って眺めていた。気が付くと三人は掴みあったままウバメガシの落ち葉に足をとられて、急峻な崖を落下していった。三人はマックスバリュ伊豆下田店の搬入口まで転がり、走ってきた青森ナンバーの白いルノーに轢かれてしまった。
 下田富士の山頂からは洋上に浮かぶ伊豆大島と下田港、線路を挟んだ寝姿山と静かな街並みが一望できる。

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