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タノタイガ「モシモ」(まとめ)

1週間のMAWプログラム滞在先だった稲取から帰ってきて2週間以上が経ち、日常の生活にすっかり戻ってしまいました。

MAWプログラムはアーティストインレジデンスのような長期的に滞在して制作と成果の発表まで求められず、その代わりに日々の出来事をnote上に日記をつけねばなりません。日記のテーマを何か一つの軸があったほうが良いだろう考えたことから、僕の「仕事」と言って見知らぬ土地へぶらりと旅をする癖(へき)に、あえて子どもを同行し「ワークのためのバケーション」を経験させて、その様子を綴ることにしました。子どもを連れ出して様々な体験や経験を増やしてあげたいと思うのは、アーティストであろうがなかろうが、多くの親心にあることなのかもしれません。それに加え、保育園がコロナ感染者対応で臨時休園が続いていたという事情もあります。

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年明けまで一旦は減少傾向だったコロナ禍も増加しはじめ、僕の滞在スケージュール直前の人たちは日程の変更を求められ、滞在2週間前から毎朝行う検温や滞在日当日の抗原検査などをおこなっていたこともあり、本来であれば積極的に町の人たちと交流すべきところが、やはりお互いの感染リスク考えれば躊躇せざるをえない状況であったことは否めません。見知らぬ土地で見知らぬ人たちと出会い、交流していくことが日々のnoteに織り込まれるつもりでしたが、コロナの感染が拡大している最中の滞在となってしまい、不特定の人たちとの積極的な交流は叶いませんでした。本来ならば、稲取の港で毎朝ひなたぼっこしながら集まっているご老人たちの輪に飛び込んでいったり、稲取の町へ移住し積極的な人々の交流を促しながら活動する今回のホストso-anさんを各地から訪ねてくる人たちと交流ができたはずでしたが消極的にならざるを得ない状況でした。僕らの滞在宿泊先だった「赤燈」の広いリビングルームや、同じくso-anさんの運営するコワーキングスペースの「EAST DOCK」はそもそも様々なイベントや交流が行われる場所として位置づけられていますが、そういった場所を本来あるべき姿で利用することができなかったことは悔やまれます。

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とはいえ、ゆったりとした稲取時間を満喫したのも事実です。日常の生活を維持しつつ、ホストによるガイドの導きで伊豆諸島を望む広大な稲取細野高原などを訪ねることができるなど、たくさんの貴重な経験を得る機会に恵まれました。また稲取を拠点として近隣の海岸線や岩山の山間部を抜け、オフシーズンに訪れる温泉(街)や景勝地を巡りながら目にする風景は、僕に刺激を与えました。

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夜な夜な苦しみながら綴ったnoteの記事が半ば今回のワーケーションの「ワーク」の部分になっていましたが、敢えて記事にアウトプットしていない多くの出来事の積み重ねが、今後の僕の表現に関連付けられていくことでしょう。もともとは今回のMAWへの参加に際し、作品プロジェクトに関わる具体的なリサーチを行う予定でした。しかし事前の情報収集の段階で実現不可能なことがわかったことから(結果的にそのことによって作品制作の可能性を見つけることもできたのですが)、noteの記事へは制作のためのリサーチ日録ではなく子どもと過ごす日常生活の他愛のない出来事を綴ることにしました。

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常日頃から、親としての重要な役割の一つは子どもの自尊心を高めたり達成感を得られる経験の機会を増やしてあげることではないかと考えているのですが、短い期間ながらも未知の土地で経験する新しい体験を通して悩む顔や喜ぶ顔を見ながら、子どもの成長にも触れることができたのはとても満足しています。その反面、子どもと共に行動することで、実際に自分の活動にも様々な制約がでてきてしまうということにもいくつか直面しました。しかしコロナ禍でなければ、もう少し地域の人たちと積極的に人と関わり合いながら、ご近所さんに預かってもらうような関係性が築けたのではなかったか…と悔やまれる部分もあります。

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宿泊先の「赤燈」の居心地よさや、海と山に囲まれた自然豊かな環境、庭で採れたミカンのお裾分けがあたりまえという人づき合いの田舎の町を拠点に、もしも、もう少し長い期間子供とのんびり暮らすことができたなら、と妄想しています。

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