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本間純「ある彫刻家との再会」 熱海(7日目)

久しぶりに再会した彫刻家の三澤憲司さんは、相変わらず、いや前にも増してエネルギーの塊みたいな人であった。
熱海滞在の機会に、この地に長くスタジオを構えられている三澤さんを是非訪ねたいと思っていた。
もう30年以上前、まだ美大に入るか入らないかの頃、ここ多賀にあるスタジオに数日滞在させてもらった。そこには完成した作品や、制作中の作品がたくさん置いてあった。
夜には酒を酌み交わしながら、50万円の所持金で横浜港から1年間の世界旅行に行った時の話、手がけてきた彫刻の話など話してくれた。スケールが大きくて、破茶滅茶で、あっけにとられた。ほとんど役には立たなかったと思うが、仕事を少し手伝わせてもらった。クルーザーに乗せてもらったり、ハンマーをかりて石を彫らせてもらった(初めて彫ってみたが歯が立たなかった)。

現在のスタジオにはあの時以上に、所狭ましと作品が並んでいる。
広いスタジオの中を回遊しながら、今取り組んでいるペインティングから彫刻まで次から次へと作品を見せてもらった。とにかくあらゆる手法や素材で精力的に作品をつくりまくっている。

数ある三澤作品の中でも、僕は鎖の彫刻が好きだ。デビュー(1969年)からの代表的なシリーズである。本来自立するはずのない鎖が、地面から天に向かって立っている。重力に反し屹立する鎖は唐突に途切れている。切れた鎖の先には、空を突き抜ける見えない鎖が立ち現れる。鎖そのものが「永遠」を暗示する。
抽象彫刻の父と呼ばれるブランクーシの「永遠柱」を、レディーメイドである鎖で更新した彫刻と僕は解釈している。
弓形にカーブを描いたり、石に絡まったり、今でも様々な形に変化しながら展開されているシリーズである。

SOOKO GALLERYに移動した。倉庫とオフィスとギャラリーを兼ね備えたスペースということだ。車でスタジオから熱海の街中を抜け、急な坂道を登っていくと、その建物はあった。
広い倉庫には床から天井まで、鎖のシリーズから石のシリーズ、パブリックアートのマケット、ペインティングがびっしりと保管されていた。これからまとめて発表する予定だという。
「またデビューしたいんだよ」と三澤さんは言った。それは50年以上に渡り数々の実績を積み上げてきた彫刻家らしからぬ言葉だった。僕は半ばあきれながら「もうとっくの昔ににデビューしているじゃないですか」と言った。

オフィスには1981年に制作した版画が置かれていた。
「アースワークとコンセプトの結合は君の人生を救う」という、何ともエキセントリックなタイトルである。漫画風にコマ割りされた画面に、勢いよく描かれている。その中では人が水の中に潜ったり、空中を歩いたり、地面に頭を突っ込んでいる。そのため呼吸できなくなり、道を失い、気がふれたりする。自然の謎に迫り、自然と一体になろうと禅問答を繰り返し、もがき、はね返され、また別のアプローチを試す。
この作品は三澤さんの40年前のステートメントではないかと思った。そして今でも身を持ってステートメントを実践しているのだと気づいた。
なるほどその挑戦に終わりがあるはずはないのだった。
さきほど発せられた「またデビューしたいんだよ」という言葉が腑に落ちた。
30数年前と同じく、大きな刺激を受ける再会だった。

別れ際「また会おう」と差し出された手は分厚く、エネルギーに満ちていた。


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