Ash 熱海6日目 「サラバ、日本一の旭のナギサ」
熱海MAW最終日。
この日は起きて、お礼をして帰るだけだったのだけれども、濃かった5日分が全然日報に収まらず盛大にはみ出しているので、そのことを書く。
私が滞在していたナギサウラは、熱海の渚町にあるからナギサウラ。
渚町は熱海の海に面したエリアで、ビーチのおとなり、ハーバーになっている一帯。ここに来る前に、SPACの先輩で旅人として三島に滞在していた奥野さんに、渚町にアトリエを構えている日本画家の坂本武典さんを紹介していただいた。
奥野さんはMAW中にたまたま三島に来ていた坂本さんに出逢ったそうで、こうしてご縁がつながるのがとてもいいと思った。
坂本さんはとても忙しい方なのに、昨日の奉納演奏を聴いてくださり、その前の日には写真付きのメッセージでこう伝えてくれた。
朝日を観るのならば5時代に起きて海辺をランニングでもしよう、奉納演奏前に朝日に礼拝できるならば、と早めに布団に入るも、その夜には大きな地震があってとても早めに就寝するどころではなかった。
人間の意図などには関係なく、地球は鳴動する。
川崎に置いてきている子どものことを心配して、多くの人がメッセージをくれた。息子の幼なじみは「ひとりぼっちかもしれないから、迎えに行こう」と靴下を履いていたらしい。さすがにひとりぼっちでは置いてこないけれども、ありがとう。そういう「地元」があればこそ、遠くまで行ける、旅人になれるのかもしれないな、とふと思う。
6時前に起きて波頭に目を凝らすも、その日は少し雲が多かった。日本一、と坂本さんが太鼓判を押す景色を観ることはできなかったけれども、十分に力のある煌めきを雲間から放ちつつ、太陽は昇った。
幾度、この日の出るパワーに力づけられてきたことか。
旭日が描かれた扇は、能であれば「勝ち修羅扇」すなわち源氏が持つ扇である。(反対に荒波に沈む夕日を描いた扇は「負け修羅扇」、平家の公達が持つ扇である)
日本一の旭日を擁する、熱海は本当に源氏の地であった。
奉納をした日の夕方、坂本さんのアトリエをお訪ねすることができた。
伊豆山の災害に際して、同級生が多数巻き込まれたこともあり、できることからと日本酒のラベルを手掛けている。
こちらの日本酒を買うと、売り上げの一部が伊豆山地域の復興の義援金にもなるという。すべてのお土産をこのお酒にしようと思った。
ふらっとやってきた「旅人」の私が「復興の祈りを込めて」演奏を奉納することの面映ゆさは重々承知していて、しかしそれしかできないという無力感(これはどこで何が起きた時にもいつも感じるもの)と対峙した時、やはりできることをやるしかない、と思う。生きているものが、生きている理由を示し続けるしかないのではないかと思うのだ。
坂本さんは前日の奉納演奏についてひとこと「よかったですね」と言ってくれた。熱海の地に根差す表現者からいただく言葉としては、身に余る賛辞だと思っている。
ジャンルは違っていても、同じ時代を生きる表現者に通じる葛藤と、それに向き合っている人間同士の共鳴というのはある。
旅人は旅人にできることをすればよい。中世の時代、琵琶法師によって語り物文化が広められたことを思い出すまでもなく、それは旅の空のもとで培われた芸術でもあるのだから。
坂本さんの描いた虎は、遠く初島と、その上に昇る旭日をじっと見ていた。
箱根路を越えてきた実朝とこの虎の姿が重なった。
★★★
その夜は、ホストであるミートバイアーツの戸井田さん、スタッフであり、若いアーティストのAJとご飯を食べに行った。
地元のデザイン業務などを請負い、年度末で忙しいのに最後まで、ホストとして温かくアテンドしてくれた二人。
わたしの滞在を豊かなものにしようと、きっとわたしの想像の及ばないさまざまな用意をしてくれた。ほんとうに、ありがとうございます。
戸井田さんが帰った後でAJと話したのは、女性アーティスト特有の変化する「ライフステージ」と「自分の表現の場」について。
20代前半のAJは同じ頃のわたしなんかより、ずっとちゃんとしていて、いろいろなことが見えていて、すごいな、と思った。この町でも、どこにいってもあなたなら大丈夫だよ。
若いアーティストが、生き生きとしている街、いいなあと思う。
渚町とナギサウラ。
旧いものと新しいもの。OSは常にアップデートしていくこと。けれどもその外側にある伝統には敬意を払い大切にすること。
川崎の街にたくさんのお土産を持って帰れる気がした。(日本酒だけではなくw)
ありがとうございました。
熱海にての物語。これにて一旦終了。
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