癸生川栄(eitoeiko)「ウラジーミル・プ一チン殺人事件」(五日目)

 伊豆半島南端の婆娑羅(ばさら)峠に端を発し東に向かって流れる渓流は、途中で稲梓(いなずさ)川や蓮台寺川と合流し、緑豊かな稲生沢(いのうざわ)川水系を形成している。湾曲する流れが緩やかになり、川幅が十間を越えた辺りから、下田市の市街地が始まる。稲生沢川は下田港へと繋がるが、河口には風待ちの船が停泊し、嵐から船を守る避難港として下田の街は海運の要衝を担ってきた。

 2049年夏。蓮台寺の旧稲生沢中学校を改築した下田市役所の市長室は無人だった。窓から差し込む強い陽光から、ヒメハルゼミの鳴き声だけが響いていた。
 新市役所から河津下田道路の蓮台寺ICを南下してひとつめの出口である敷根ICを降りると、静かな住宅地が広がっている。観光客による渋滞が問題となっている終点の下田ICとは打って変わって、超高齢化と過疎が限界に迫った、猫と老人以外に姿のない日本の典型的な地域社会の姿がそこにあった。住宅地の一角には小山田公園という、古びた遊具が置かれた一見何の変哲もない公園があった。その日、戒厳令下の下田市内では、ひそかに砲撃の準備がすすめられていた。

 下田沖南南東1kmの海上にならんだ99本の巨大な風車。昭和生まれの読者にはナウシカで巨神兵が襲来する「火の七日間」を連想する者もいるだろう。その威容をもつ洋上風力発電プラントのうち98本は故障し稼働を停止していたが、残り1本の風車では、風を孕んだ直径200mのブレードが低い唸り声をあげて回転している。主軸を支える高いタワーには海面近くにプラットフォームが設置されているが、その脇に、一隻の大型潜水艦が着艦していた。ロシアの最新鋭ハスキー級原子力潜水艦「ミハイル・バクーニン」である。
 死後170年振りに名誉を回復したアナーキストの名前を冠した皮肉な潜水艦の艦橋には、祖国を追われた二人の元国家元首の姿があった。ひとりは元日本国総理大臣の矢部心臓である。もうひとりは元ロシア大統領のウラジーミル・プ一チンその人だった。読者に失礼の無いよう念のため書いておくが、正式な発音はプイチチンである。疑り深い人は、横棒をコピペして検索してみよう。さかのぼること十数年前、国家資産横領の罪で国を追われた二人は手を取り合って潜水艦を奪い、ヤベ一チン原潜共和国(仮)を建国していた。そして世界各地の港町に赴いては水や食料をせびっていたが、ついにこの下田にやってきたのだ。善良な下田市民は恐れおののき、一隻しかない潜水艦を黒船団と呼んで、家の中に閉じこもってしまった。艦橋では、超高齢の両名が艦内から伸びる酸素チューブを喉元に差し込みながら、日向ぼっこをしている。矢部95歳、プ一チンは97歳になっていた。

 下田市長福威攣は義の人である。何としても早急に下田市民の不安を取り除かなければならない。あらゆる手段を検討した結果、市長をはじめとした市民有志は小山田公園に集まっていた。思えばこの日のために毎日下田富士を登ったり降りたりしていたのかもしれない。彼らは持てる力のすべてを使って、公園の遊具を外しはじめた。
 ドラえもんにでてくる土管のような遊具は、じっさいは韮山反射炉で鍛造されたとまことしやかに伝えられる大砲の砲身だった。幼児でも登れるドーム状の遊具はその砲台である。園内の隅におかれた現代美術めいたオブジェは六分儀のような形の昔の照準器だったが、さすがにこれは現代のGPSとコンピュータで代用した。屈強な者たちが砲身を抱えて砲台と組み合わせると、超長距離砲「海龍」となるのだった。
 砲身は巽の方角を指していた。小山田公園からは目視できないので、市職員は虫よけスプレーをして公園のすぐ南にある下田富士の山頂から双眼鏡で洋上風車を見張っていたが、ついに砲台が完成したとき、太陽は西の山稜に姿を消していた。あすになったら下田駅に向かって極超音速ミサイル「ツィルコン」を撃ってくるかもしれない。そうなったらもうおしまいだ。

 祈るように山頂の祠に顔をむけた職員の視界に、倒れかけた木札が目に飛び込んできた。かつてペリー艦隊とともに上陸した水兵がモチの大木に刻んだという「1854 DSG」という文字が、沈む夕日の最後の光を受けて輝いていた。それがDefeat Shit Governmentだったかという確証は今のところない。
「市長もう時間がありません」
 職員からの無線が小山田公園内対策本部の福威市長に向かって叫んだ。市長は発射の合図を吠えた。
「スルガエレガント!」
 18時54分、超長距離砲海龍から特殊砲弾が発射された。その直前に市長を囲む一同はえ、何言ってんの?という白い眼で彼を見たが、当初の打ち合わせでは、発射の合図は「発射」だったという。後年、市長は「いやあ聖闘士星矢の必殺技みたいでかっこいいかなと思って」と述懐している。ちなみに静岡には夏みかんと文旦をかけあわせた同名の甘夏があるが、筆者は下田のとある商店でこれを甘夏とはっさくをかけあわせたみかんと誤って説明されている。

 砲弾はあっという間に伊豆急行の線路を飛び越え、住民以外には非常に区別しにくいセブンイレブン下田西本郷店とセブンイレブン下田東本郷店の上空を越えて、さらに稲生沢川を越えた。ここで土地に詳しい読者であれば、弾道が潜水艦のいる方角ではないことに気が付くだろう。だが違った。砲弾は稲生沢川を挟んだ対岸の寝姿山のよだれ岩に斜め下からぶち当たり、そこで大きく反跳して南の空に消えていった。
 緩やかな弧を描く砲弾は1本しかない動く風車の軸受けに命中した。主軸が折れ、自律を失いながらも勢いよく回転を続けるブレードが潜水艦に向かって落下する。艦橋の二人の老人はブレードにはじかれて空を飛び星となった。この椿事を下田市民は畏敬の念をこめて「夏色キセキ」と呼んだらしい。

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