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本間純「たどり着けない神社」 熱海(5日目)

登っても、登っても、なかなか辿り着けない。
伊豆山神社の本宮社である結明神本社まで行ってみようと思い、多くの人で賑わう本堂を後にしたのが30分前。
古い神社にあるような長い参道くらいに思っていたが、こんな険しい山路をのぼり続けることになるとは想像していなかった。
この日は初夏の陽気で、すでに汗だくである。息をするのが苦くて喘いでいる。
漱石のように、「山路を登りながら、こう考えた。」という心境には程遠い。
結局1時間以上登っただろうか。突然視界が開け、古い鳥居が現れた。敷地の奥にぽつんと拝殿はあった。敷地には鳥居と拝殿と、端に小さな手水鉢がある。それだけである。
もうへとへとである。とは言え頂上にたどり着いた達成感もあり、清々しい気持ちでしばらく拝殿を眺めていた。
簡素だが、とてもよい佇まいだった。
諸説あるが、紀元前5〜4世紀から836年までの間この場所が伊豆山神社だった。
その後、今の本堂に移設されたという。
2000年以上の間、何かを祈るために、どれだけの人がこの山を登ってきたのだろう。
そんなことを考えながら、暫く眺めていた。その間登ってくる人は誰もいなかった。

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下りは別ルートの近道を通った。険しいことには変わりなかったが、当然ながら登るよりは数倍楽だった。
降りきったところから少し歩くと、突然山がえぐり取られたような場所が現れる。その場所には家も木もない、土だけだ。昨年夏の伊豆山の土石流災害が発生した場所だった。突然何もかも流され、見えなくなってしまった風景が目の前に現れ、言葉を失う。
自然災害ではあるが、原因は無理な盛り土だといわれている。ヒューマンエラーである。
一昨日前、東日本大震災から11年が経った。それに伴い起きた福島第1原発のメルトダウンで高い放射線量が続いている。未だに自分の家に戻れない住民が多くいる。誰にも見られることがない風景が多くある。
たった今、ロシアからの侵攻で街を破壊され、住むところを追われたウクライナの人々がいる。
どんな理由であれ、大切な人や家や風景がなくなるのは、どんなに悲しいことだろう。

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