癸生川栄(eitoeiko)「三島由紀夫殺人事件」(二日目)

 容赦ない寒風が稲生沢川の河口を吹き抜ける。年平均気温が17度というこの街には似合わぬ、真冬の台風に見舞われたS県S市。57年前の同日には人類史上初めて宇宙遊泳を成功させたロシア人がいるという。ホテルのエレベーターのモニタは豆知識を披露していたが、これから傘をさすのもやっとという屋外に立ち向かう人間に、それはお節介というものだ。
 S市の旧市街は東西南北に幾本もの辻が格子状に伸びている。駅から路地を抜け、そのうち一つの商店街に入りこみ、何度目かの十字路を右に曲がると、看板のない奇妙な商店がある。住民でさえ、その店があることに気づかない者もいるという。その代わり店の軒先にはショーウインドウがひとつある。ウインドウにはベレー帽、ハンチング、キャスケット、野球帽、紐のついたアウトドアハットなど、様々な種類の帽子が数段に分けて整然と飾られている。通りすがりに一瞬の観察眼でそれらが全て手作りであることを見破った者だけがこの店舗を発見し驚愕するのだが、不定期に閉じていることもあり、ウインドウ脇の扉を開ける者は稀だという。その帽子が手形、あるいは暗号のようなものになっているということを知るものは一般には誰もいない。
 裏の世界ではごく普通のことなのだが、あるものがないと通れない場所というものがある。警察署内のある地下室に入るには警察手帳が必要であるように、固く閉ざされた街外れの高い伊豆石の石塀に囲まれた敷地に入るには、ある特別な帽子が必要だった。男がどこかで手に入れたタータンチェックのクローシュのつばに手をあてると、古い観音扉がきしむ音を立てて開いた。その先には巨大な切妻造の山門がそびえている。奥には社殿のような建物が見えた。
 山門の下には二体の奇妙な石造がお互いを睨みつけるように並べられている。真実を隠すために仁王像と伝えられているが、頬骨とあばら骨が浮き出た造形は異彩を放っていた。
 それははるか昔、国東半島の断崖に住んでいた先史以前の古代人の姿だった。おれのいうことはすべて出鱈目だが、これだけは本当だ、という筒井康隆のエッセイの一文が頭をよぎる。
 かれらは石像となってS市のある半島にもたらされた訳ではない。自ら移動してこの地に現れたのである。その握った拳から、パラパラとこぼれ落ちた粒子が後年、鉄塊となって発掘されているが、現在の考古学では使途不明としてとりあえず道の駅の4階に展示されていたりするのはまた別の話。その鉄塊から鍛造されたスパナを、アレクセイ・レオーノフは船外活動中に宇宙空間に落っことしてしまったのだ。いわゆる「レオーノフの槍」が、57年の周回軌道を経て大気圏に再突入し、キエフのピンチューク・アート・センターの庭に刺さっているかどうかは残念ながら現在は確認ができない。文化の灯はかくも不安定なものなのだ。気が付くと、冷たい石の床の上で、三島由紀夫が仰向けになって死んでいた。口にはかれが終生愛してやまないマドレーヌが詰まっていた。その腹に日本刀が突き刺さっていたかどうかは定かではない。天国で彼は、マドレーヌ三島という芸名でけっこう人気がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?