癸生川栄(eitoeiko)「稲生沢賀茂殺人事件」(七日目)

『下岡蓮杖殺人事件』や『狂い咲きペリーロード』など数々の名作を世に送り出し、”下田文学の神様”と呼ばれた故・稲生沢賀茂(いのうざわ・よししげ)。今でも多くの人に愛される恋愛小説の名手が第二十六回下田文学賞を受賞した際のインタビューを、故人を偲んで再掲する(初出:平成34年3月23日)。 

――稲生沢先生、このたびは下田文学賞受賞おめでとうございます。
稲生沢 ありがとうございます。
――ご自身が書かれた作品のエピソードで、印象に残っていることはありますか?
稲生沢 そうだな。いつも夕食後に2時間くらいでチャチャっと書いているから、特にないな。
――笑。まあそうおっしゃらずに。
稲生沢 いやいや本当だって。何ひとつ。むかし、雑誌に載っていた記憶術の宣伝文句があったけど、その反対じゃよ。忘れるというより、憶えていない。
――先生が編集長を務めていた同人誌に載っていたパロディ広告のキャッチコピーですね。
稲生沢 よく知っとるね。

|魂を削るように書いてきた

――最近は精力的に執筆されていますね。
稲生沢 下田の空気が良いんだな。最近完結した七部作は頗(すこぶ)る快適な環境で書かせていただいたよ。
――先生はどのように執筆されているんですか?
稲生沢 まず一作目の『西村京太郎殺人事件』と次作の『三島由紀夫殺人事件』は、頭の中のあらすじだけで、最初から最後まで順番に書いていった。これをわしは魔夜峰央方式と呼んどる。パタリロは最初のコマから順番に書いていったそうじゃからな。モーツァルトも同類じゃな。受験生はこの御三家をイノ・パタ・モーと憶えると忘れないぞ。三島殺人事件はもっと文体を三島っぽくしたかったんだけど、全く読んでないからそう書けなかったのは内緒じゃ。
 三作目の『ワックルはかせ殺人事件』は、トンカツ屋にあったチラシから生まれた掌編じゃ。ユーチューブを見てみい。ドープな動画が並んどるぞ。下田の新しいヒーローじゃ。この物語の終盤はフォーサイスの『オデッサ・ファイル』を参考にしたぞい。
 四作目の『下田富士殺人事件』と続く『ウラジーミル・プ一チン殺人事件』は、どちらも長編のプロットを思いついてしまったんじゃが、時間の関係でやむなく削った。そういうときはあらかじめ箇条書きに物語の流れを書き出してから、必要な部分を抜き出して順番に描写する。映画でシーン毎に撮影するようなものじゃな。グーグルマップも活用して、リアリティをマシマシにするんじゃ。息子に「ロシアも口シアにすればいいんじゃないの」と指摘されて、こりゃ一本とられたわい。
――先生は本当は神楽坂から一歩も出ていない、という噂もありますが。
稲生沢 バッカモン。下田富士なんか二日続けて登山したぞ。
 五作目を書きながら『Sonny Boy』の峯田の歌を聴いていて、ジュブナイル小説が作りたくなって書いたのが六作目の『イソヒヨドリあるいは稲生沢BOYZ殺人事件』じゃ。下田は四つの中学校がひとつになって、それは大変だけど、きっといいこともあるよ。頭の固い大人になってから他の地域の人とよそよそしい付き合いをするより、子どものうちに出会って友だちになったら、地域の絆がもっと大きくひろがるんじゃないかのう。
 最初のうちはナタリア・ラフォルカデなんかを聴いて静岡ビールを飲みながら書いてたのが、だんだん書くこと自体が面白くなって、BGMもビールも邪魔になっていったところで七作目がこのインタビューじゃ。太宰風、開高健風、坂口安吾風、隆慶一郎風と毎日文体を変えて書けたら最高だったが実力不足を反省しとるよ。こうしてまとまると、職業不詳ぶりがたまらんわい。
――先生は三流のパロディしか書けないんですか?
稲生沢 (飲んでいたお茶を吹いて)ヴフッ。
 イギリスのアナーキスト・パンクバンドにCRASSというのがいて、彼らが出で立ちやシンボルにわざと軍隊調、ファシズムを想起させるのは矛盾の弾幕という手法をとったからなのじゃ。わしはナンセンスの弾幕に事実を混ぜることによって、読者に真実に気づいてほしいんじゃ。
――今回はワーケーションなんで、そういう面倒臭いのはいいです。下手な理論武装をしても作品がチープだと底の浅い現代美術作家みたいに見えますよ。


|桜は散ったが展覧会は始まる

――これからの下田に期待することはなんでしょう。
稲生沢 いまウィキペディアで適当に探しとるから、ちょっと待って。あ、「草莽崛起」じゃ。そうもうくっきとは、吉田松陰の言葉じゃな。ゆかりの地である下田市民はよく知っとると思うが、意味がわからなかったらググって調べておくれ。
――今後の抱負をおきかせください。
稲生沢 4月9日からは東京は新宿・矢来町のeitoeiko(エイトエイコ)で「桜を見る会」を開くぞ。一色ちか子、岡本光博、木村了子、坂本佳子、嶋田美子、中島りか、和田高広という一癖も二癖もある美術界の猛者たちによる、桜をモチーフにした作品が一堂に会されるんじゃ。河津桜の見頃は過ぎても、こちらは4月30日までの会期中、毎日がお花見日和。そのあと5月19日から6月5日まで東京羽村市の宗禅寺で開催の水族館劇場『出雲阿国航海記』に出演して、それから7月はART OSAKAに出展と行事が続くので、また会う日までアディオス。
――本日はありがとうございました。

このインタビューのあと、稲生沢賀茂の消息はプッツリととだえた。いまはもう千の風とかになって下田の釣り人を困らせているに違いない。

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