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Eri Liao 「 春の香り (4日目) 」

 昨日noteを書いている途中にいつの間にか寝てしまい、ハッと目覚めてあわてて投稿。朝5時。少しゴロゴロして、先日知り合ったウード弾きタキコさんが、8時15分からエピのところにある富士山GOGOエフエムで公開収録をするというので、時間ぴったりに着くようゲストハウスを出発する。
 久しぶりに晴れ。青空。やっぱり朝は気持ちいい。今回の滞在ではじめて富士山が見えた。昨日の雪のおかげで、裾野の方まで雪をかぶっている。

 しかし富士山を今見えているように写真に撮るというのはなんと難しいんでしょうね。こんなんじゃないという写真ばかりになってしまって、撮ろうとするのをやめて、ただ見ながら歩いた。「みんなそれぞれmy富士山っていうか、自分的なここから見るのがベストっていう富士山があるんですよ」とここの人たちが話していたのを思い出しながら、あちこち道の間に富士山を探す。そのうち、そうか、ここでは富士山は探さなくてもいつもあるんだ、と気が付く。

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ツーショット。

 FMスタジオに行ってみるも、外からは中の様子が見えないということがわかり、あきらめて散歩に方針転換。週末はまた天気も崩れるようだし、今日は散歩の日にすることに。新橋浅間神社に立ち寄って参拝、梅が見事に咲いている。マスクを少しずらして梅の香りを吸い込む。二の岡神社で見た平和への道標がここにもある。

 中学生の頃、部活の後みんなで歩いて帰っていると、あゆみちゃんが突然、大発見をした博士のような顔になって、
「ねえ、春の香りがする、するよね?」
と言い出し、他のみんなで、えー、何言ってんのー?あゆみってほんと意味わかんないこと言うよねー、とギャハギャハ笑ったのを思い出す。あゆみちゃんはいわゆる天然キャラとされていて、独特のタイミングで突拍子もないことを言い出しては、またなんか言ってるよと私たちにあしらわれていたが、20代のいつかの春、まだ東京に実家があった頃、朝、私が家の門から外の道に出ようと曲がった瞬間、あ、春の香りがする、と思った。はじめてそう思ったあの瞬間以降、毎年、春になると私にも春の香りがするようになった。それまでの春だっていつもその香りがしていたはずなのに、私はずっとわからなかった。あゆみちゃんが春の香りをかいでいた頃、私は自分の悩みばかり考えていたのかもしれない。今はやっと、春の香りはほとんど梅の香りなんだとわかるようになって、毎年、梅の花の咲くのが、いろんな花が咲き出すのが、つぼみが膨らんでるのを見るのが、木そのものまでまるで血が通い始めたように見えるのが、たのしみになった。

 いったんゲストハウスに戻り、コーヒーを淹れて、初日にエピで買った黒はんぺんをそろそろ食べなきゃいけないのを思い出してオーブンで炙り、朝ごはんにした。いくつかメールなど済ませ、昨日大田屋さんの店先でもらってきたフリーペーパーに載っている秩父宮記念公園へ行くことにする。

 秩父宮は戦争中ここに住んでいて、戦争が進むにつれどんどんと体調を悪くしたという。その部分に少し共感する。ここにいると駅前のゲストハウスにいる時よりずっと大きく自衛隊の演習の音が聞こえる。園内のあちこちに「防空壕→」「防空壕↑」という看板があり、秩父宮の妻が実際に逃げ込んだという防空壕も残っていて、私も中に入る。

 帰りがけ、金時力まんじゅう、とらやのどら焼き、季節の羊羹をお土産に買う。特に急いでいないので、帰りはGoogleマップを見ないで、なるべく来た時と違う道を、大きな通りではなく家と家の間の道を通ってゲストハウスに戻る。誰かのおうちに洗濯物が干してあると、なんとなくそこの前を通りたくなるのは、誰かがここで生活しているというのをより実感したいからかもしれない。自転車で走っていると、よく手入れされたお庭がたくさんあって、やたら凝った庭造りだとかそういう意味ではなく、生活の一環として手をかけられてきているのがわかるような庭・家がたくさんあった。そのことに私はとても安心する。そういう風に暮らせる人たちがあそこの家にもここの家にもいるんだということに。

 電動自転車は疲れない。当たり前だけど。目的方向へ走ってるのか迷ってるのか、よくわからないしどっちでもいい。富士山がそこらじゅうから見えるし、見ようとしなくてもそこにある。でもやっぱりすごく見ちゃいますね。なんでこんなにうれしいんだろう。新橋浅間神社には、富士講の人たちの記念碑や、富士山登頂記念碑、つまり「富士山に来ました!」というよろこびがあまりにも大きくて石碑にまでなってしまった方々のたくさんの痕跡があった。気持ちいいものだな、と思った。でもこうして富士山なんとか記念の石碑が並ぶ参道を思い出していると、その少し向こうに並んでいた忠魂碑も心にぼんわり浮かんでくる。三つ。私は富士山に登ったことはないが、大昔の人たちが土偶でも作ったみたいに、富士山の形をした何かを手でこねたりして作って、しばらく乾かして、家の中のどこかよく見えるところに飾って時々拝んでみたりしたい。

今回の旅のmy富士山。
もう大丈夫という気持ちになった。

 


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