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“白い波がウサギのように深い青に跳ねている”(子鹿社:田邊歌野さん) おきなお子 第6日目

伊豆半島巡り、6日目。
大室山の山焼きは、注意報級の強風に飛び、また延期となりました。
朝早く目を覚まし、その開催情報をキャッチしてくれた今回のホスト・IZAIZUの船本さんと「残念ですね」と言い合ったものの、でも、延期されても、わたしは山焼きは実際に見られるのではないかと、予感がありました。

伊豆半島を訪れる1週間ほど前に見た夢が、乾いた草の生える丸い丘と、人々がたくさんいて、何かを伝達していくような場面で、その時は、何の連想か象徴か、わからないなと思っていました。
でも、大室山に登り、山焼きの話しを聞いて、わたしのなかでは、あぁ、あの夢は山焼きのことなんだ、と結ばれる感じがあったのです。手のひらをこぶしで打つ、あの古風なポーズで。
(…7日後、再び伊豆半島を訪れ、実際に目にすることができました。)

2022.3.13  大室山の山焼き

6日時点、まだ乾いた草の生える山焼き前の大室山へ登りました。
初めて、この頂上から富士山が望めました。ただ、絶景。
金子先生が話された、噴火による地形の形成、この大室山の溶岩が城ヶ崎となった…という4000年前の物語を、今目にしているのだなと実感しました。
そして、大室山のプリン型は、砂時計でいつも同じ角度(30度の安息角:あんそくかく)の自然な山ができるのと同じ要領なのだということです。

大室山からの富士山

船本さんに連れて行っていただき、その溶岩が流れ造られた城ヶ崎海岸へと向かいました。

下記HPより『南方からやってきた風来坊-伊豆半島の成り立ち』>風来坊って!!

駐車場から出て、5分後「門脇つり橋」近っ。
この「近っ」て感じも、この土地ならではな感じがします。目にできる壮大な自然に出会うための苦労がちっともないことに。
絶景まで、徒歩5分。至極、お手軽ジオパーク。

そして、ゴツゴツとした溶岩を、これまた少し進むと海を覗き込む距離まで近づけます。
波しぶきの音が、東映の映画はじまりなんかより、臨場感たっぷり聞こえてきます。さすが自然、音のボリームがでかい。
眼下20mでは、大いなる時間をかけて、強い波が溶岩を削る。
いや、大いなる時間をかけなくても、今目の前で削られてるよというくらい荒い波が、2,30秒間隔で、律儀に岩にぶつかり、白く弾け飛び、虹をつくり、また逆巻いています。海の端っこは、こんなに忙しい。
岩の上で、船本氏お手製の愛情おにぎりをいただきました。
これまでの人生で、1番ダイナミックな場所でのピクニック。

緑の海、白い波の逆巻きは、ゴッホ以上の激しいタッチ

この大音量、波の迫力を堪能したのち、今度は場所を変えて、地形が変われば波の動きも違う、城ヶ崎海岸自然研究路コースへ行きました。
こちらは、てくてく てくてく しっかり歩いた先に出会える景色です。

大淀小淀、まるでプールのように波のない入り江、飛び込みたい。

この岩から望む穏やかな海辺に来て、わたし個人として、今まで日本でたった一箇所でしか味わったことのない感覚に出会い、感動しました。
それは、沖縄の小浜島の海の堤防で感じた、自然音しかしない、人工音が一つもなく、看板などもない、ただ右からも左からも聴こえてくる波音だけの世界。そこに寝転んで、自然と自分という存在だけを味わった、あの時間の頭も心も体内も、空っぽにできた忘れがたい開放感。
それによく似た空間が、ここにもありました。
沖縄まで行かなくても、ここで空っぽになれるんだ、と個人的には黄金の発見になりました。(思い切り連れられてきた、他力の発見ですが、笑)

船本さん、この方の伊豆半島への関わり方はダイナミック。
今回1番の幸運は、このホストさんとの出会いです。

ちなみに、このお方とわたしは2日間、同じ道行を歩んでおり、船本さんもnoteを丁寧に記録されています。
この前半ジオパークまでも、事実をわかりやすく知るには、こちらがおすすめですが、特に後半、今からはじまる、子鹿社訪問に関しては、対談記事みたいに読みやすく面白いです。↓↓↓  ぜひ、クリック。

午後は、子鹿社を訪ねました。
静岡新聞社を経て、現在、伊豆高原、大室山が真ん前に見えるこの場所で、一人経営をされている田邊詩野さんにお会いしました。
涼しげな、という印象。まだ肌寒い季節に使う形容詞ではないですが、穏やかな颯爽。職場兼ご自宅で迎えていただいたのですが、屋外で涼しい風吹く場所でお会いしているような。
訪問してすぐ、いろんな宝物を見せていただきました。
ひとつめは、部屋にたくさんある子鹿。
子鹿社を立ち上げたら、いろんなところから「子鹿」が届くそうです。
素敵な祝福。

子鹿、草を食む

ふたつめは、なんと博物館か、印刷所でしか見られないような活版印刷の活字。印刷所が閉鎖するときに譲り受けたものだそうです。
こちら、1ページ分くらいの活字を集めて持つと、ずしっと重い。
「言葉の重み」とおっしゃいました。

活版印刷の活字
本の扉などの飾り文字や絵

みっつめは、大室山にそっくりなオブジェ、同じ角度で本物が望めます。
こちら、じつは、竃とのこと。
かまど?!  お米を炊く??
ESI (エクストリーム・スイハ二ング・インターナショナル)なるドリームチーム、いつ、いかなる状況でも米が炊けるという触れ込みで結成された炊飯チームによる製作物だそうです。
この製作について、“is”という冊子に対談集があり、竃造りにおいて、見た目の美しさだけではなく、機能性を追求する中で、
「かわいいで燃焼語るんじゃねーよ!」
なんて、格好いい、かつ若干よくわからない名言も飛び出していて、読み応えあり!! でした。

“かまどでうまく火を起こせるようになろう。
心に情熱の火を燃やして、いつもそこから話せるようになろう。(is より)”

そのあとは、レモングラス系のハーブの葉に、直接湯を注ぐ、とても美味しいお茶をいただきながら、伊豆半島と文学について、たくさんお話しいただきました。
子鹿社は、2021年の6月に設立し、お一人で、出版に至るまでのすべての工程を行うとのことでした。
いよいよ、初出版の本が販売になるというタイミングで、ポスターを見せていただきました。

『ねこおち』伊藤千史 キャンペーンポスター

ちょっと未来からになりますが、こちらの本、買って楽しみました。
素敵です。おもしろかった!! 
本に対してのおもしろいは、よく興味深いって意味で使われますが『ねこおち』に関しては、笑っちゃうほうのおもしろさです。
墨絵イラストが1ページを1コマとして、パラパラめくって一つの世界観を味わえます。
よく登場するのは、ちょんまげ、ふんどし姿の男。身体能力が高いのですが、使いどころは缶ポックリ乗ったり、お盆の送り盆ナスに乗ったり、鬼を踏んだりしている。この謎の世界観。深夜のヘンなドーパミン。
でも時折、箱龍のような美しい幻の流線にうるっとくる。
ぜひ、お手元に一冊。わら半紙の手触りも心地よし。

田邊さんが書かれた記事

そして、今連載されているまさにお聞きしたい、伊豆半島×文学。
田邊さんが書かれた新聞記事を見せていただくと『TUGUMI』の映画撮影の記憶を巡る。確かに吉本ばななのこの小説の舞台は、伊豆。
わたしもこの主人公たちの年齢の時に、読みました。
そういえば、吉本ばななの作品で、わたしは『N.P』が好きだった。N.Pという小説の作家の腹違いの子どもが血筋を知らず恋に落ち、その生命のタブーを負った運命の中、生きようと死のうとする一人の女性、翠を見つめたひと夏の物語。
つぐみを見つめるまりあと、友を見つめる眼差しで描かれる、夏という季節の物語という舞台は共通です。それでも、この二作品が違うのは、強烈な個性を持つ主人公の存在。
人を見つめる。
人が人を見つめた時に湧く想い、見つめた側の感受性で描かれる瑞々しい言葉。
じつは、編集者だとおっしゃる田邊さんの文章にも、この、人を見つめる描写でぐっとくる、心に残るところがありました。

(重い病をおった友人がなくなった際、)
ーーーけれども私は、大きな声で叫びたかった、(中略)  そうじゃない、死に急いでたわけじゃない。彼女はちゃんと自分の人生を生きてたよ、中野美保子は死んだぜ。ちゃんと生きて、死んだぜ。私は、そう伝えたかった、大きな声で、誰彼かまわず。 
死ぬことは悪いことじゃない。彼女の「命」の正体は、目には見えないけれど、ちゃんとあったんだって。私たちの目に届く星の光がすでに失われたものであるように、その光はちゃんと、闇だってちゃんと、あったんだって、そう言いたかった。
〜is 5号 生きる、そして、食べることと死、それらについての小さな考察。より

たくさんの小説を読み、たくさんのいい表現に触れた人が、いい文章を書く。
小説の効き目は一生だから、という言葉を、彼女から何度か聞きました。
田邊さんは、作家でもある。作家だと思う。
懐かしい颯爽さの姿の内面では、こんなに濃厚な強力な想いが宿る。それは、多くの本と接せられ、時に生み出す傍らで、ご自身の言葉も送り出してきた時間の中で醸成されているのだと思います。
このnoteのタイトル、白い波がウサギのように深い青に跳ねている。
こんな描写に、私ははじめて出会いました。並み居る小説家が、まだ描いていない表現。上の記事の中の一文です。今、そんな海を眺めているのと同じくらい動きが目を浮かぶ。見事。

田邊さんが編集された本

今度はこの本を読んで、また訪れようと思います。
わたしは、二十年くらい時計の針を戻し、自分が芸大で、文芸学科で、小説を書くために、小川国夫氏のクラスを取っていた、あの時間を思い出しました。
小川国夫は、静岡藤枝の純文学の作家です。
先生の文学にも、一文にはっと驚かされる名人芸のような的確な描写がありました。不安、コンプレックス、揺れる内面、そんな留まりにくい精神を、敏感な感受性で書き取っていた。
藤枝が舞台の『悲しみの港』
覚えているけれど、もう一度読みたい。

子鹿社から望む、今日の海

子鹿社への訪問。
「文学」という道に、もう一度戻るような、そんな時間でした。

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