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伊豆半島〜旅のまとめ、山焼きへとつづく、おきなお子

旅はつづく〜HIBARI BOOKSと大室山の山焼き
伊豆半島から帰り、すぐ「あいち・アートブリュット」の展覧会を学生たちと準備していました。ニシヤマナガヤ という再生商店を舞台に、まちなかエンゲキも急ピッチで創作し、気候もアートも伊豆半島と少し違う暮らしに戻って数日後、延期となっていた山焼きの日程が回ってきました。
旅を終えて5日後、また伊豆半島を訪れました。

山焼き前日は、子鹿社の初出版『ねこおち』のギャラリーが行われているHIBARI BOOKS を訪れました。
作家・伊藤千史さんの魅力、満開。
オサレにCafeが今ばかりは、ねこおち世界、全開。

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この墨で描く本格的な描写力で、くすりと笑う世界を描く。ちょっと深夜のラジオテンション。好きだ。

ギャラリーを味わった後は、HIBARI BOOKS の魅力的な本棚で、子鹿社・田邊さんにおすすめを伺いました。
『掃除夫のための手引書』 を手に取っていると、店主さんが「それは来週文庫になりますよ」と教えてくれました。じんわりする。
最近、本屋さん自体が減っていて、さらに本を愛してそれを奨めてくれる書店さんも減っている。本をAmazonでページをめくることもなく、買ったりする。本を買うというのは、内容だけで選ぶものなんだろうか。その時のわたし想いともやもやと、本屋さんの雰囲気と、書店さんの存在が大きい時代もあった。昔。十年か二十年か。
でも、時代を超えて、続けている人もいるんだなぁと思うと、ありがたい。本好きには、贈り物だ、と思いました。
『掃除夫のための手引書』以外にも、『急に具合が悪くなる』(田邊さん選書)、『本を書く』(店主さん選書)、そしてもちろん『ねこおち』を全てハードカバーで買いました。ほくほく。わたしにとっては焼き芋抱えるより温かな。

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掛川から伊豆高原まで、走る〜田邊さんとの対話
そして、この日、田邊さんとじつは掛川駅でお会いし、伊豆半島までのドライブをご一緒させてもらいました。
この時間が、わたしにとっては何か決定的な時間でした。
物語の中の場面みたいに、自分入りの映像で思い出す。
車窓から富士山が見え追い抜いていくスピードと、高速道路が暮れていく、次第に夕闇にオレンジが灯る時間の経過、言葉を聞く、記憶が蘇りまた言葉になる今と、内面で波立つ生きてきた時間の全部が、同時にそれぞれの速度で走っていきます。一つも忘れることなく。
どうして書くことをはじめたのか? の問いなどをお互いに聞き合ううちに、わたしは自身はこれまで、抗いようのない呪縛や、その抑圧から抜けようとした努力、怒りも悲しみも憂鬱も、じつはそういった影が本当に色濃い人生だったなと感じ、そのもがきの一番まともな手段が書くことだっただろうと思い返しました。
踏まれても、その踏まれた感触や場面や内面を、文字に書き起こせるならそれでいいと、日常的に望まないのに襲ってくる精神的な暴力を「視る」力を得ようとした。鍛えようとした。それが、書くの出発か。
尊敬する文学は、酷い痛みのその最中、目を瞑らず、より感覚を研ぎ澄ませて、それを感じて映し取り、読み手にも追体験として届けてくる。
それを読むこと自体が、まだ未知の経験なるそれらに唯一、耐える力をつける方法だったように思う。
心の中でサンドバックを殴ってる、表面的には動いていなくても、暗かろうが、明るかろうが、アクティブな人生。

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大室山を支える池の方、みんなで見つめる炎
ついに、伊豆高原の春の風物詩、大室山の山焼きが開催に至りました。
見てよかったな、つくづくと思います。
もちろん山焼き自体、見て大満足です。
これは700年ものの風習なんだという歴史や、離れて見物していても、焚き火にあたる以上の熱気を感じる臨場感や、朝にお鉢の中側を焼いて、昼には裾から火をつける山全体の焼きは、パチパチと音を立て、下から火のラインがぐんぐん上がり、最後はまるで噴火したような雲が空に浮かぶという、ダイナミズムに目を奪われる体験でした。
でも、それだけではなくて、この風習のその周りの人々が素敵でした。

まずは、山焼きを行う「池」の地域の方々、消防団や保存会。
防火法被を着て、手には火消し用の大振りの木を持ち、格好良いです。
わたしは大室山丸ごと焼くという、これ以上ない火事を今から起こすにあたり、もっとピリピリ緊張感が漂うものかと思っていましたが、おいちゃんたちは(いや、若い方もいるみたいですが) ものすごくのんびりご機嫌で待機されていて、こんな一介の観光客に対しても、法被を着させてくださったり、「池」はその名の通り、昔、池だったことや(なので発音も地名的なイケではなく、名詞的な池と同じ音階発音だとのこと、なるほど、今度からそう言おう) 山焼きは二十代の頃からやっていることなどを、気さくに話してくださいました。
そして感動したのは、集合かかって、ではと立ち去る時、お話してくださったお二人から「山焼き、楽しんでいってね」との言葉をかけてもらったこと。
地域の風習に、こちらがお邪魔している感じでいましたが、なんておもてなし上手な地域なんだ。好きになってしまいました。

そして、大室山の山焼きのとき、地域の人も観光客もみんな揃って、山の周りでのんびり山を見つめて待ちました。それは真昼間なのに、花火を待つように。
子どももお年の方も、家族もカップルもお一人も、バイク隊もサイクリング隊も、じつにさまざまな人が、同じ風景を見に集まります。
別に交流して知り合ったりしなくても、共通の風景を心に持つというこの場を、なんとも言えずいいなぁと思ったのです。あの年の山焼きは、風が吹いてすごく早く燃えたね、また2022年は、3回目の正直でとても綺麗に焼けたね、とか。
そして、火に向かうのも、焚き火効果で、なんだかちょっと心開いてしまいます。これ以上ない大きな焚き火で、見ず知らずの人たちと同じ炎の思い出を持ち、またぐっとこの土地での嬉しい思い出が増えました。
この幸福な時間を、ホストの船本さんとも一緒に過ごし、伊豆半島の延長滞在は幕を閉じました。

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ここが、今ごろ、本題〜しずおかマイクロ・アート・ワーケーション
この体験は、伊豆半島でわたし自身のなかに眠るアートを目覚めさせ、そして、目覚めた暁には、この人たちに見て欲しいと思う人たちに出会うことができた、人生でなかなかない時間でした。
両親が静岡出身、自身も幼少期を静岡で過ごした所縁を持って、この土地を訪ねましたが、さすがに広い静岡県、全然知らなかった伊豆半島で、所縁とは別の縁に恵まれました。
伊豆半島の特異性、類まれなこんな不思議な島を体感して、4000年の歴史から地形から、季節から、同じ温度の中でご自身の夢を咲かせる人たちから、ほんものの創り手たる好奇心や探究心を感じ、自分の中も耕されました。
演劇で、文学で、今度は、わたしの創作ステージとして、伊豆半島に来たいなと思います。

そして後日、すでに大室山の山焼き、そして子鹿社出版の『ねこおち』ギャラリーへと足を運んだわたしは、この期間が終わっても旅人として、すでに伊豆半島にいるのだと思います。

同じ時間を共有することで、伊豆半島とご自身のお仕事の宝を共有してくださったみなさま、その道先案内人として、体験を届けてくださったホストの船本さん、そして、しずおかアートカウンシルに、ありがとうございました。また伊豆半島でお会いしましょう。

                      旅人 おきなお子 より

    ↑↑↑街劇団えんがわカンパニー10周年、活動記録




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