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本間純 エピローグ「ここにある風景について」 熱海

海は波たち、山からは湯煙が上がっている。空には丸い月が浮かんでいる。
墨の細い筆致で描かれた絵には、歌が添えられている。

「はるの夜に 出湯のけふり 立籠て かすめるそらの 山の端の月」

元禄16年(1703年)に熱海十景として出版された中の一枚である。
絶景との噂を聞き熱海を訪れた藤原某(名は不明)は、その風景を絵と歌で残した。

熱海市のHPで見た熱海十景の画像。熱海への旅をまずこの絵を実際に見ることから始めることにした。絵の複製を、熱海市立図書館で見ることができた。話を伺った歴史資料管理室の北川さんによると、今ではこの絵に描かれた風景は残っていないということだ。
図書館の展示ケースにあった数枚の写真に目が止まった。それは林の中に横たわる石の写真だった。石には所々穴や文字が穿たれている。キャプションには「伊豆石丁場遺跡」と記されていた。
それは江戸城築城のために石を切り出した石切り場の跡であった。切り出された石は熱海の海岸から船に乗せて運ばれた。近くの旧長浜海岸にはその時の舟積場の跡や、運搬の際に落としたといわれる二つの巨石が遺跡として残っている。遺跡は普段は海に沈み、干潮の時だけその姿を現すという。
またこの遺跡に関する新聞記事も見せてもらった。記事によると貴重な遺跡は埋め立てられる計画があるという。昨年夏の伊豆山での土石流災害現場で撤去された土砂で、埋め立てられる予定とあった。
何とも複雑で、やりきれない思いがした。

熱海ではどのように風景が「見えないのか」を探りたい。それが旅のぼんやりとしたテーマだった。

今僕たちの目の前に見えている風景には、「可視」と同時に様々な「不可視」が含まれている。例えばそれは、場所固有の歴史、生活習慣、流れてきた時間などである。
僕この不可視な要素こそが、想像力を拡張する大きな源であると考えている。
この考えのもと、これまで国内外様々な場所を訪れ、風景に表出する不可視的な要素をリサーチし、それを元にビジュアルアートとして作品化することを試みてきた。

図書館で偶然見つけた写真から、導かれるように幾つかの場所を訪れ、風景を見た。
ある風景は時間の経過とともに消滅していた。ある風景は海に沈んでいた。草木や苔に侵食された。天災や人災によって破壊された。そしてそれらの風景はゆっくりと、或いは急速に不可視の領域に移行していく。
熱海の旅で、僕はそのような風景を見た。いや、見たような気になっていただけで、実際には網膜には映っていなかったかもしれない。
想像したといったほうが正確だろう。

この旅で見た風景の記憶は、近い将来作品に姿を変えて浮上してくる予感がした。


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