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市川まや(龍山町5日目3/13)「ここにいる。」

私の活動は、いわゆる普通の、そこいらへんにいるような人々と踊りを生み出していくことだ。年齢、性別、ダンス経験にとらわれず、その人の持っている背景をそのままお借りしてそれを作品にしたり、みんなでそれを一緒に楽しんだりする。

今回、龍山で「ダンス」をやろうと言うと、きっと壁を作ってしまうと思ったので、「健康体操」をやろうとダマして、皆さんのお喋りから生まれる身振り手振りから、知らないうちに踊らせてしまおうという計画を立てていた。
しかし、残念ながらサロンと呼ばれる集会に行くことは叶わなかった。

そこで、今回は撮影に重点をおくことにした。
ダンスの経験がある山いき隊の千陽さんは、その経験を活かして映像出演をしてくださった。(3日目参照)

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もう一つは、前々からやりたいと思っていた「ピン」になることだ。

以前から、白塗りになり、高下駄を履くパフォーマンスをしていた。

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人は簡単に「立つ」。その当たり前のことに抗ってみたくなった。高下駄で歩くことはわりと簡単にできる。しかし、立って止まることは本当に難しいのだ。この時、「立つ」という覚悟が、大げさだが地軸になるような感覚だった。そしてある時、この格好がGoogleマップの「ピン」みたいだと気付いた。
そうすると、いろんな場所に立って、私は「ここ」だと示してみたくなったのだ。
やりたいと思ったものの、一人で白塗りから撮影までやるのは大変で、中々現実できないままコロナ禍に突入し、色んな場所へ行くことも困難になった。

サロンに行けないかもしれないと、事前のオンラインミーティングで話していた時、これをやりたい、そして山いき隊の人も白塗りになってもらえないかと頼んだら、簡単に「いいですよ」というので、本当に大丈夫かな?と不安に思った。

担当である千陽さんは、どうしても抜けられない地域のお仕事があったので、長谷山さんと二人で挑むことになった。
龍山についた初日に真っ赤な衣装を選んでもらった。


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当日、曇りの予報だったが思った以上に天気が良く、この光を逃してはならないと長谷山さんが来る前に自分の準備をし始めたところに長谷山さんが来て、全部白いインナーを着て白くなっていた私を見て、引き返そうとする。あられもない姿だったので、見てはいけないと引き返そうとするのを、「いや、今から一緒に白くなるんだよ」と引き止める。若い彼に申し訳ないことをした。

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しかし、光は待ってくれないと、彼を白くし始める。そして、アイラインを引き、眉毛を整える。すごく、男前。彼も気に入ってくれて一安心。
白くなった二人は、真っ赤な衣装を身に着け、オレンジの車で、撮影したいポイントまで駆け抜ける。もちろん、凝視される。

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朝、滞在場所から歩いていいなと思ったポイントで、まずは彼を撮ってみる。
「ポーズはこう、手をまっすぐ横に伸ばして、片足をケンケンするみたいに上げる。肩を落として。」
バスケ経験のある彼は、はじめから不安定な場所での撮影だったにも関わらず、すぐにコツをつかむ。
ポーズは一瞬しか撮れないので、自分の足を上げるタイミングで上げてもらい、それを連写する。
撮った写真を見せる。すると、「こんな風になってるんだ」と少し嬉しそうにのぞき込む。
次は私が被写体になる。
「電柱と電線はなるべく入れたくない。」
シャッターを切ってもらい、撮れたものを確認する。
「指先や、下駄の歯がかけるともったいないから入れて。ここの奥行きを出したいから、私のいる位置がどこかいいか指示を出して。」
そうすると、どんどんいい写真が撮れてくる。
無論、私もプロのカメラマンではない。ただの感覚だ。そして、撮影が終わると、撮影したポイントで、本当のGoogleマップにピンを刺しスクショする。

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林道、秋葉ダム、瀬尻のポケットパークにある吊り橋で撮影し終えて、次はその格好のまま、「ドラゴンママ」で腹ごしらえ。さすがに勇気がいる。ちょうど、川道さんの秘密村でマウンテンバイクで山を走るイベントを開催されており、その参加者が食堂に集っていた。
川道さんに「やってるねー」と楽しそうに笑われる。
食堂がかなりテンテコマイだったので、先に歩いて行ける森林文化会館で撮影を行う。3日目に撮影したときもだが、ここは本流で天竜川がすぐそばにあり、緑色に輝く川を借景して撮影できる。ダム建設により昭和29年に湖底に沈んだ家々があると思うと、哀しい気持ちにもなる。恐らくこの下にも家があったであろう場所でも撮影する。
ドラゴンママに戻り、春らしい天ぷらが入った蕎麦を食べる。長谷山さんがポツリと、「ドラゴンママの服装の色合いが似ている」という。ドラゴンママの一人も「同じ色合いね」という。という訳で、恥ずかしい恥ずかしいいうママたちを並ばせる。後ろ向きでも構わないと言ったのだが、結局、こちらを向いて下さり、パシャリ。その後、初日にあったひろこさんとねえぼさんのご夫婦のお宅へ行き、ぶか凧のある「道楽部屋」と茶畑で撮影させていただく。初日にたまたま出会って、長谷山さんが電話番号を知っていたということで、今回もお会いすることができた。
向かいの鉱山が栄えていて、夜になると煌々と明るかったそうだ。当然子供たちもたくさん当時はおり、中学校は600人もの生徒が在籍していたらしい。そして高校まで通うとなれば、野球部だったねいぼさんは毎日早朝に出て23時に帰宅していたそう。
ど迫力の凧と、お茶畑のポコポコとした風景、そして初日にひろこさんが好きだとおっしゃっていた木の下でも撮影した。ねいぼさんも、この木の下から見下ろす風景が好きだ。
「歳を取るとこの静かさがいい。ほかの街に絶対住みたくない。」

道を下る。あっという間に本流まで降りてくる。道が急だから、さっきまで見下ろしていた場所から、川のふもとまで一瞬である。
「さて、陽も落ちてきたから、最後の撮影にしようか。どこかいい場所はない?」そう尋ねると、長谷山さんが本流に降りれる場所があり、案内してくれた。隣町の佐久間に入るかどうかというところ。ちょうどよい水辺の撮影ができそうだ。
段々と自発的にポーズや立ち位置を考えて、撮影自体を楽しんでくれているように感じた。
撮影するにつれ、片足で立つことが難しいので、片足を挙げる直前に「せーの!!」と言って撮影の合図を送るようになっていった。

無事にすべての撮影を終え、持ってきたサラダ油と濡れタオルで、白塗りを落とす。
油で白塗りを馴染ませ、浮かし、濡れタオルでふき取る。
元の体の色に戻り、千陽さんと合流し、水窪に向かう。
そう、「山でマグロ祭り。」に行くのだ。千陽さんがデザインしたチラシが頭から離れない。
着いたら、閉店まで1時間を切っており、ほとんど売り切れていた。
スーパーまきうちの方が「うちに行列ができるなんてねー」と、千陽さんにハグする。

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その後、のぞみさんと吉崎さんと松下さんのお宅で合流する時間まで時間があるので、10月に行われる芸術祭の会場である「佐久間歴史と民話の郷会館」へ向かう。そこの川は「豆こぼし」といわれ、川が山を蛇行しており、船で物を運んでいた時代、積んでいる豆がこぼれてしまうほど流れが変化し、難所であったことからこの名前が着いたそう。
会館は閉まっていて下見はできなかったが、見ごたえのある川辺へ行き、そこでゆっくりと過ごす。長谷山さんが、「あの石に当てよう」と言い出す。千陽さんと私はからきしだ。
石切りもする。長谷山さんだけが「石切り」で私たちは「石投げ」だった。
活動拠点の京都の鴨川とも、最近引っ越した東京の荒川とも全く違う天竜川。
ゆっくりとした静かな時間を過ごす。

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その後、二人と別れ、松下さんのお宅にいく。
そこにもゆっくりとした時間が流れ、交流があり、人の温かさを感じる。

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ゆっくりとした時間なのに、一週間があっという間だ。

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