山中カメラ「こんにちは富士山」(3日目)
朝から晴れた。
本日は、ホストの山田さんから画家の富田貴智さんを紹介していただき、
その富田さんの紹介で、「富士山信仰」「富士講」はもとより、日本の歴史に大変お詳しい渡井正二先生を紹介していただいたので、
富田さんを交えてお話を伺いに富士宮へ。
渡井先生は89歳(!)ながら、ありとあらゆる年代やら元号やらをスラスラとお話されて大変びっくりしました。
主に「富士講」について伺ったのですが、
江戸時代に主に静岡以西、静岡以東でそれぞれ起こった民間信仰で、
当時は交通も発達していなかったので、伊勢や江戸などで「講」を組織し、お金を出し合い、「講」の代表者を富士登山に送り出すことで御利益が得られ、願望達成が出来ると信じられていたとのこと。
登山者は大勢の願いや願望を一手に担い、当時はまだ危険であった富士登山に臨んだ。伊勢参りのようなレジャーではなかった。
登山から帰って来た代表者を迎える「講」の面々は、道に寝そべり、代表者に「跨いでもらう」ことでその御利益を享受することが出来ると考えられていた。
この点がすごく面白い。
登山に行ったその人間自体が「富士山」そのものとなって帰って来るのだ。
この信仰に伴う「行為」にとても興味を惹かれた。
人間の想像力で「富士山に行ったこと」になってしまう。
東京に住んでいた時にいわゆる「富士塚」を見たことがあるが、これも富士塚を登れば「富士山に登り、御利益を得た」ことになってしまう。
「どうしても出来ないが、どうしても実現したい」という人間の切なる願いが感じられて感動してしまった。
そのほかにも浅間神社にまつわる歴史的変遷や、祀られている神々の話、富士山の自然現象、地形について様々なお話を伺いました。画家の富田さんのお話もとても面白く、日本の文化とは何か?宗教とは何か?時代の閉塞感を打ち破る方法は?など様々な話を三人ですることが出来て、大変勉強になり、刺激を受けました。
ありがとうございました。
お二人が「富士宮に住んでいると子供のころから富士山の噴火の可能性につていろいろ言われるが、私達は富士山の恵みを享受しているから噴火したらしたらでしょうがないと(死にたくはないが)思っている。恵みと恐れは表裏一体である」とおっしゃっていたのが印象に残りました。
午後からは富田さんに浅間大社や富士宮を案内していただきました。
これも今日のお話で教えていただいたのだが、浅間大神は水の神様であられるとのこと。この水の神というのも2つの側面があり、恵みの水の神であり、噴火を収める(火に強い)水の神でもあるとのこと。
昨日の三島でも感じたが、ここ富士宮も本当に水がきれいな町だと感じました。
【静岡あるある】
スーパーやコンビニに塔婆が売ってる。
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