癸生川栄(eitoeiko)「ワックルはかせ殺人事件」(三日目)

 小田原から熱海、伊東、熱川、稲取、河津そして下田まで、伊豆半島の東海岸沿いを走る国道135号線を大動脈とすれば、下田から南伊豆の妻良、雲見、西海岸の松崎、土肥を巡って三島へ抜ける国道136号線は半島の大静脈と言って良い。その二筋の生命線が東西から迫り、真正面から衝突する地点には、沼津から修善寺、天城を越えて半島の中央を南北に縦貫する国道414号線が直交する。
 三筋がドラマチックに合流する交差点は、じつは三叉路ではなく十字路である。南側にはマイマイ通りという、なんとも力の入らない名を冠した日常生活路がある。開国の要人マシュー・ペリーが半島のカタツムリを本国に持ち帰り、のちにミスジマイマイの亜種としてEuhadra peliomphala Shimoda,Jayの学名が登録されたことに由来する、と市のホームページには書かれている。このマイマイの突き当りにある了仙寺で下田条約が締結されたのだった。
 沖縄・石垣島には、730交差点というものがある。米国による占領からの返還の象徴として、自動車の通行区分が右側通行から左側通行に戻った月日を記念している。下田にもそのくらいの気概があっても罰は当たらないだろう。
 がそんなことはどうでもいい。国道135号線と国道136号線が繋がる割に何の変哲もない中島橋交差点を北上すると、程なく、低い山裾に吸い込まれていくように緑豊かな景色が広がっていく。スダジイや他の照葉樹に覆われたゆるやかな稜線を眺めながら、男が乗った一台の自動車が雨の上がった国道414号線を北へと走っていた。

 自動車を降りて坂を登ると、砂利石を敷き詰めた空間の向こうに、瀟洒とも壮麗とも、質素とも清廉とも形容し難い二棟の建物が並んでいた。その手前には観音像にカエル像、鷲の石像、二頭の犬を従えた老夫婦のブロンズ像がある。扉の開錠には、その不可解な組み合わせの暗号を解く必要があるのだ。あれ、初夢って一富士二鷹三老夫婦だっけ?と思われた聡明なる読者は残念ながら不正解である。念のため、モンテビデオ沖で沈没した戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーから引き上げられた例のアレでもない。組織によって守秘義務が課せられているので正解はここには記せないのだが、玄関で二三度特別なポーズをとると、扉は物音ひとつ立てずに開いた。男は中に入っていった。
 二棟を比べると華やかな印象がある奥の建物には、花器の花、野の花など様々に花々を描いた西洋絵画と日本画、あるいは日本人作家の筆による近代洋画が飾られていた。両手を広げるような幅はなく、むしろ両脇を締めたまま抱えることができるような大きさに、鑑賞者は心を許し、安堵を覚えるだろう。東西文化がシームレスに繋がっていく様子は、ひとえには絵画の力によるものに思う。
 もうひとつの、グレーを基調としたよりスパルタンな印象の建物の中には、仏像および宗教美術関連のものが陳列されていた。東西文化の融合の試みは、外観から既に始まっていたのだ。ここには一般に美術品と総称されるものを、ただ美術品としてとらえるのではなく、選別、配置、展示によって別の角度からその意味に光を充てる試みがあふれている。美術品はこの力によってさらに「美術」のステージがあがる。
 そういえば自分もそんな職能に関わるような仕事をしていたようなしないような、と男は消えた記憶を辿っていたが、持っていたものが世紀のアングラ劇団「水族館劇場」のチラシだけだったので、ええと、この舞台に出演するんですが、役者ではないです、と支離滅裂な自己紹介をするほかなかったかどうかはわからない。まして自分のギャラリーでは4月から「桜を見る会」を開催するんですと言っても、俄かには信じがたいだろう。男は『北北西に進路をとれ』の複葉機に追われるケーリー・グラントのように去るほかはなかった。

 馴染みの旧市街に戻り、繋留された漁船を見ながら夕食をとる。レジ脇に無造作におかれた観光案内の中に、下田市制50周年記念事業と刻まれたA4サイズのハンドアウトがあった。男はそれを手にした。
 ホテルに戻ると、男はハンドアウトに記された言葉をネット検索し、そして動画を発見した。そこには血管が切れる勢いで語るマッド・サイエンティスト風情の白髭おやじと、おそらく助手の割には白衣すら着用していないおさげの女が一心不乱に牛乳パックに鋏を入れていた。博士の怒声がノートPCの右スピーカーを破壊しそうなバランスなのだが、スコセッシ監督の『ラスト・ワルツ』よろしくTHIS FILM SHOULD BE LOUDと冒頭に注意書きしてあると思って鑑賞されたい。
 深夜の中島橋交差点を、蛍光色のヘルメットを被り、円縁眼鏡に白い口髭を蓄えた白衣の男が朦朧と歩いていた。白浜にある自身の研究所に向かうところらしい。スクランブル交差点の信号は赤色の点滅をくり返していた。そのとき、マイマイ通りから国道414号線に向かって1台のスポーツカーが猛スピードで走ってきた。気が付くと、中島橋交差点の真ん中の、斜めに十字を描く横断歩道の中心のマンホールの上に、ワックルはかせは立っていた。迫りくるエンジン音と眩しい光に立ちすくむ。
 白衣とフロントグリルが接触するその刹那、どこからともなくもうひとりの男が飛び出し、ワックルはかせを押し出した。車はあっという間に天城方面に走り去り、博士は何事もなかったかのようにふたたび白浜方面へと歩き出した。
 轢かれた男は最後に呟いた。
「き、癸生川さん。いまコンプライアンスとかあるから」
 彼は男を美術館に案内してくれたV博物館のC学芸員だった。ありがとう椿原さん。このご恩は一生忘れません。たぶん。

 この物語がフィクションであるかどうかは定かではない。

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