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本間純「アースワークの寺」 熱海(6日目)

視界は360度山々に囲まれている。
丹那盆地は繰り返されてきた丹那断層の活動によって作られた。
昭和5(1930)年に北伊豆地震が発生した。その時、丹那盆地の地下約160mで掘り進められていたトンネルの工事現場で大量の湧水が発生。丹那地方は渇水に見舞われ、今まで行われてきた稲作やワサビ栽培ができなくなり、酪農に転換した。その象徴でもある酪農王国オラッチェはこの地域の拠点となっている。乳製品を購入できるショップや、羊や山羊と触れ合える牧場などがあり賑わっている。

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長光寺は盆地のはずれにひっそりと在った。
観光客は一人もいない。人の姿そのものがない。唯一会ったのは猫1匹のみである。
短い石段を上りきると、不意に奇妙な光景に出くわした。
境内の地面が図案化された仏さまの顔で覆いつくされている。
それは子供の落書きにしては整いすぎていた。かといって枯山水の紋様のような洗練性もない。
ただ、そこには制作者独自の様式のようなものが感じられた。何度も描かれアップデートされるうち形とバランスが定まった、そんな図案に思われる。
おそらく人が歩けば図案は消えていしまうが、そのたびに描き直されるのだろうか。

南インドを訪れた時、至る所で見かけたコーラムを思い出した。コーラムとは家の入り口に描かれた様々な幾何学文様の砂絵である。文様のデザインは様々で、その家に伝わる伝統的なものとも、気分によって変わるとも聞いた。朝に描かれた砂絵は、風に吹かれ、通りを歩く人に踏まれ夕方には消えていく。ヒンドゥー教では砂が消えることで、幸福が砂と共にひろがり、家族が繁栄すると信じられている。

この地上絵もそのような意図で描かれているのだろうか。
この絵を描くことが作者(おそらく住職)にとって修行か、祈りのようなものなのか?
毎回同じ構成なのか、あるいはその時の気分で変化するのか。
そもそも何のために?

そろそろ日も暮れかけてきたが、盆地での妄想は尽きない。

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