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おきなお子 第5日目 風強し、伊東の観光と読書

本日も伊豆半島は晴れて、とても強い風が吹いています。
桜の桃色が散っていく。
広い湯船で、湯の波紋に朝日が光るのをのんびり眺めて、旅の時間だなぁ、と思いました。コロナ禍で、長く旅をしていなかったので、今回の7日間滞在は、朝起きて知らない街を歩く、景色から景色へと進む、遠く忘れていた旅先の感覚を取り戻させてくれました。

荷物を持ち、3泊した山喜旅館という木造の建物を後にします。
ここでは「旅先の書斎」というワーケーションルームを利用していました。
ここと同じく、伊東の温泉街の観光客が減少するなか、旅館であっても食事なし、温泉付きの長期滞在向けの宿泊へと、役割を変えて継続しているところが増えているようです。

伊東駅前に出て、商店街などをぶらぶらしてみました。
ここ数日伊豆半島を巡り、自然豊かで季節を感じる場所は、たしかに穏やかな「観光」に人が集いますが、伊東駅周辺などは、商店街にかなりシャッターになっていました。

「シネマ通り」の映画館の閉館

昭和時期に賑やかだった商店街は、全国的に衰退傾向にあり、平成の長い不況期に店舗改装等をすることなく、昔のままの売れない店が増え、またはシャッターとなって連鎖する、負のループが起こっています。
伊東駅前も大規模な商店街がいくつもあるので、その傾向をより感じました。シネマ通りのシネマがすでに閉館しているなど。

伊東市のホームページで、「第3次伊東市観光基本計画」から、観光客の推移、観光要素の評価、力を入れるべき事項などをみてみると、街からの印象と確かに一致するように思いました。

「第3次伊東市観光基本計画 2019年度→2023年度」出典

観光客数の推移としては、ゆるやかに増加傾向にありますが、観光要素の中で、評価が低下している“温泉街の雰囲気”ついで“土産品”“市内観光施設”=市内の地域活性化、が力を入れるべき項目として上がっています。

同出典 「第3章 本市観光の現状と課題」より

関東圏からほど近く、春が1ヶ月先に来るような暖かい気候で、海あり山あり(その頂点は富士山)、火山地帯による温泉、そしてジオパークと、唯一無二の観光資源を持つこの土地が、宿泊や商店など、地元の収益につながるところが弱いとなれば、惜しいことだなぁと思いました。

北原白秋「お馬の湯」

風が強く、駅前のサザンカというベーカリーカフェで、しばらくお休み。
「斜陽日記」を読み終えました。
爵位のある優雅さの落日。主人公かず子が、お母さまとの最後の暮らしを、伊豆の別荘で過ごします。外の世界とは切り離されたような甘く静かな二人だけの時間。
しかし時は大戦中、日々の想いの中にも、ふとその描写があり、胸にませりました。

ーーーもし家内にまで米兵に踏み込まれたら、無抵抗主義。笑って迎えて言うなりになろう。もしもお母さまの前で身を任せたら…いよいよ最後となったら、お母さまと一緒に死ねばいい、落ち着いて死にたい。

そして、母のきささまが亡くなるところで、この日記文学は幕を閉じます。太宰治の「斜陽」では、この後すぐ、“戦闘、開始”と恋の成就を革命として、この別荘から出ていくかず子が描かれます。そう、この先は太宰が創作した世界。死にゆく者、生きる者。

新潮社「斜陽」

「斜陽日記」の「あとがき」では、太宰が亡くなり、まだ幼い治子を抱く静子が、太宰への想いが綴られています。

ーーー「斜陽」のかず子の最後の手紙、あの一言一句そのままに、生きようと思います。
あのかたは、いままで、私に、一度も「小説を書いて、生きていきなさい」とは仰いませんでした。日記や手紙を書くようにとは仰いましたけど。
でも、もうあのかたはいらっしゃらない。

文学の物語と、現実の交錯が本当に起こっている「斜陽」
まさに作家の名前をそのまま受け継いだ治子も、母・静子、父・太宰の物語を続けていきます。

この読書を続けながら、電車に乗って伊東から伊豆高原へと向かいます。
明日予定の大室山の山焼きには、強い風に吹かれながら。

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