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内田涼「すすきの話と波の話」(まとめ)

「すすきはパイオニア植物と呼ばれていて、痩せた土地や厳しい環境でも根を張ることができる。すすきが根付くことで次第に土地が肥えていく。すすきは他の植物が育つための環境を整える役割を持っています。」
稲取に到着した初日、ホスト役の一人である最年少ジオガイドの藤田くんが、一面に広がるすすきをみながらそう教えてくれた。
まだ10日ほど前の出来事だが、遠い昔のことのように思える。稲取で過ごした一週間、毎日とても濃い時間を過ごさせてもらったので、なんだか感覚がおかしくなっている。

滞在する数週間前、zoomの画面越しに「稲取で何かやりたいことはありますか?」とホスト役の荒武さんに聞かれたわたしは「えぇと、なんか、朝日や夕日を鑑賞できればいいなと思って…、あと、のんびりできたら嬉しいなと思って…。」みたいなことをゴニョゴニョ言っていたのだが、今考えてみると、企画を持ち込んだりイベントを立ち上げたりする訳でもなく、稲取の文化に興味を持っているわけでもなく、(絵描きなのに)稲取で絵を描きますと言っているわけでもない、やる気があるのか無いのかわからないやつの扱いって、なかなか難しかったのではないだろうか。お二人にはすごくいい距離感でやり取りをして頂いて、やはりまずそこに感謝しなくてはいけない。この「距離感」というのは、人と人が同じ場所で過ごすにあたってかなり重要なキーワードだと思うのだが、彼らはちょうどよい間合いを知っている人たちだったように思う。
彼らの周りにはいつも「よそ者」がいて、それは(本物の)旅人だったり、移住者だったり、大学生だったり、友だちの友だちだったりする。カッコ付きの「旅人」としてやって来た私のこともぜんぜん特別扱いすることなく、ビジネスライクに偏ることもなく、ごく自然に接してくれたのが有難かった。

そのzoom会議の数週間前、このマイクロアートワーケーションという企画の募集要項を読んでいた頃のわたしは、本当に切羽詰まっていた。全て自分で決めたことだが、展示やイベントがいくつか重なり、やりたいこととやるべきことの区別がつかなくなったり、できることとできないことの間を右往左往する日々が続いていた。自分で立てた計画や、未来予想図に追い詰められるようになってしまっていた。
そんな時たまたまこの企画にたどり着き、藁にもすがる思いで企画書をしたためて、緊張しながら応募のボタンをクリックしたのだった。とりあえず短期間でもいいから「未来」に絡め取られない生活を送りたかった。

たったの一週間ではあったが、稲取での生活は想定よりも波乗り感の強いものになった。目の前にきた波にどう対処していくかということを、その都度考えるような毎日は、先に書いたような、彼らが保ってくれたちょうど良い距離感と、稲取に出入りしているよそ者たちがもたらしてくれたものだった。また、空模様や風や気温によって行動が制限されるという不自由さは、逆にわたしの気持ちを楽にしてくれた。

30歳を過ぎてから「計画的に生きた方がいい」と言われることがとても増えた。仕事のことや結婚のことや出産のことなどが大きな塊となってこちらに向かって迫ってくるように感じていた中で「今」を取り扱うことが難しくなっていたように思う。
稲取に足を踏み入れてからは、右も左もわからない中、ただ目の前に現れる「今」を連続的に処理していかなければいけない局面が多々あり、体力を要する場面もあったが、精神的にはとても安定していた。知らない場所で知らない人々に囲まれた時のあの手探りな感じは少しくすぐったいけれど、末端の神経がピリピリと動く感じ、そう、あの温泉で熱い風呂と水風呂を交互に3往復した時のあの感じ!にそっくりである。死んでいた細胞が生き返ったのかもしれない。

また、この旅人日録も今ここに自分が居ますよということを、誰よりも自分自身が確認するための良いツールになったと思う。ここに書けなかったことやあえて書かなかったことの方が印象に残ってたりするのだが、独白のような形式は今回の自分の身体には合っていたのかもしれない。でも毎日日記をつけるのは、よほど気持ちが乗っていないと難しいだろう。気をつけないと日記中心の生活になりかねない。一週間という期間は、日記初心者にとってはちょうど良い長さ、いや、ギリギリの長さだった。

3日目くらいの日記にも書いたが、わたしはコーヒーが飲めない。新しい人に会う機会が多くなればなるほど、コーヒーの出現率は高くなる。ほぼ比例していると言って良い。場合によっては切り抜けるのに少々気力を使うので、結構大変である。でもあの時、元バリスタのあゆみんが作るコーヒーを本当はちょっと飲んでみたかった。周辺にとってもいい匂いが漂っていた。でもここで体調が悪くなったら困るので、代わりにチャイを頂いたのだが、これが本当に美味しかった。しかしコーヒーが飲めない人間がチャイの味を褒めるなんて、そんなおこがましいことが許されるのか、ちょっとその辺がわからなかったので、美味しかったと言いに戻るのはやめておいた。もし良かったらこれを読んでくれている親切などなたか、やっぱり彼女に「チャイおいしかったです」と伝えておいてください。よろしくお願いします。そして本当にありがとうございました。また遊びに行きます。 内田涼

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