ご縁率

今夜は久しぶりに去年入っていたコミュニティの子たちと話をした。
文字じゃない会話をしたのは11月にみんなで旅行して以来。

今年になってコミュニティの誰と会った?とか、何してた?と話を振られたど、その話題に私は乗れなかった。
方や4ヵ月の内に、新年度のコミュニティに関わっている子もいて。
誰が何してた、こんなこと言ってた!と画面の向こうでは盛り上がる。
あぁ、知らぬ間にみんなそれぞれ繋がったご縁を紡げているんだなって、虚しいような、羨ましいような気持ちがぽろり。
私は紡ごうとしなかった。
紡ぎたいと思う相手がいなかったのか、そもそも出会えていなかったのか、私が本気じゃなかったのか。
あのきらきらした輪のなかにいることは楽しいのだけれど、少し苦しかったのかもしれない。
今更理由を探したって何か変わるわけじゃないのだけど。
出会いはしたのに誰一人としてご縁を紡げなかったことに遺憾をしみじみ感じた夜だった。
みんなに出来て私はできないことがちょっと悔しい。
そう、いつだってないものねだり。

小・中学校で繋がっている友達は0。
高校の中では、かろうじて3人。
大学に限っては1人。
今の会社では、どうだろうなぁ。
今後も連絡を取り合うとしたら1人かも。(しかもお客さん)
関係を続けられているのは片手で数えられるだけ。

この数字を多いとみるか、少ないとみるか。

少ないよなぁなんてずっと思っていたけど、私の人生においては妥当な数字なのかも。
残っているのは最近会ってないなぁと感じた頃に連絡がくるような、そんな友人ばかり。
きっと誘ってくれる人じゃないと私は続かない。
それと、何かしら共通の好きなものがある。
話を聞くときは否定をせず、それはどうなの?って言ってくれる。
どちらかというと現実主義で、感情的にならず、落ち着いた性格で。
そんな人が多いかな。
これまでの傾向をみても、ひとつの出会いの場で繋がれるのはせいぜい1~2人。
だから片手に納まるこの人数もきっと少なくはないのだ。
これが私のご縁率。

そう考えると、去年入ってたコミュニティの人たちはちょっと色が異なっていたのかもしれない。
みんな感情で動いているし、落ち着いてなどいられないひとたちだから。
そんな人たちに憧れた。
仲間になりたい、そう思った。
でも、表面では繕うことができたとしても、きっと心からは馴染めない。
残念だけど、住む世界がちょっと違った。
ご縁を紡ぐには難しい世界だったのかもな、なんて。
でも、奇跡的にまだ繋がっている人たちもいるのも事実。
無理に輪に馴染もうとしなくてもいい。
繋がり続けなくてもいい。
遊びたいときに遊んで、話をして。
ご縁があれば細々と続いていく関係もあるのでしょう。

ご縁は期待するものじゃないのかもな。

「いつの間にか続いてた」
それくらいがちょうどいいのかもしれない。

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