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バガヴァッド・ギーター瞑想 3ー41

五感をコントロールするって?

じぶんの「センス(五感)」と、どんなふうにおつきあいしていったらいいのだろう?

自身の内にある欲望、欲求をどのように扱っていったらよいのだろう?

今週は、ギーターを書き、歌いながら、そんなことと向きあい続けてきた一週間でした。

今回は、バガヴァッド・ギーター3章41番のシュローカ
上記の画像、リンクをクリックすることで、サウンドクラウドより、バガヴァッド・ギーター、ヒーリング瞑想音源をお聴きいただけます。


“真の知性を邪魔する「感覚器官」の奴隷にならないこと。

欲望のままに動くことは、真実の理解を妨げる。

そのためにはまず、五感(感覚器官)のコントロールが一番である”


では、いったい人間の本質的な機能である「五感」ってどんなふうにコントロールするのがいいのだろう?


英訳には、感覚器官をrestraining(抑制)する、という言葉が当てられているのですが、

わたしの経験上、「抑制」というのは、無理の上で成り立つ限り、続かないばかりか、より屈折した欲望を生むことにもなりかねない。


視覚、触覚、聴覚、味覚、触覚

このすべては、三次元に生きるヒューマンに与えられた最大のギフトであり、

だからこそ、たいせつにしていきたい。


ですから、感覚を抑制、押さえつけるのではなく「研ぎ澄ます」ことで、よりささやかなセンセーションを最大限に味わい、楽しめるようになることが、みずからの感覚を統制し、貪欲(必要以上の刺激を浴する状態)に陥らないための一番の鍵なのだと、と。


たとえば、好きなことや好きなものを禁止したり、「摂らない」というのが抑圧。

そうではなくて、一回の体験を五感を最大限に開いて味わい、感謝して楽しむこと。


カフェインはよくない、と決めつけて、取るのを止めようとするよりも

1日のはじまりの朝、一杯のコーヒーを最大限に味わうように心がけてみる。

それが、食べものであっても、お酒であっても、たばこであっても。


同時に、どうしようもなく哀しいことがあった帰り道、そこに咲いている花の美しさに気づけるくらいのわたし(感度を持ったじぶん)でありたい。


センスは押さえつける=restrainingするのではなく、ひらいておくこと。


五感をひらいて、一度きり、もしくは小さなプレジャー(よろこび)を、最大限に味わうことができれば、無理をして欲しいという気持ちを押さえつけなくとも、「もっと!もっと!」という、きもちは自ずと減ってゆく。

せっかく、肉体を持った人間に生まれてきたのだもの。


五感というみずからに与えられた最大のギフトをたいせつにしなさい

恐れずに、感覚器官をひらき、みずからの繊細さを愛で、慈しみ、すべての体験を一度きりのものとして最大限に感謝してレシーブ(知覚)すること。その体験そのものが、この世界、惑星、宇宙への捧げものとなる。そして、そこには、無駄な搾取は一切、存在しないのだ。


わたしには、クリシュナの声がこんなふうに聴こえるのです。


サンスクリット語の文献は、もともと目には見えない形而上の世界や存在について書かれたもの。

そこには、わたしたちの理解の範疇を超えた多次元、多重の意味が込められており、つまり、翻訳の意味や内容も、言語的なスキルだけでなく、訳者自身の精神的成長や宇宙真理そのものへの体感を通した理解度によって、大きく変わってくるものです。


ですから、ここに記す解説も、あくまで、わたし自身がヨガの修練を通して感じた、現時点での一つのperspective(視点)。

どうか、音源を聴きながら、実際の言霊の内に、あなた自身の「真実」を感じとってもらえたら、この上ありません。


Hari Om

真実、われ、それなり。

今週は、5歳になった息子が学校に通いはじめた最初の週でもありました。
オーストラリアの田舎町、レインボースクールの呼ばれる、地元でも愛される、のびのびした山の中の学校。
きっと、ここで五感いっぱいに学び、楽しみ、育っていってね♡

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