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バガヴァッド・ギーター瞑想 7-24

わたしたちは、肉体世界と意識世界、さらにそのまた先の集合的無意識の世界と、多次元を同時に生きる存在です。

ちょうど、玉ねぎの層がいくつも重なっているように。

今週は、じぶん自身、また、目の前の人の「本質」とはなにか?
と、すこし意識を深めて観察する練習をしてみましょう。

今回は、バガヴァッド・ギーター7章24番(シュローカ)。
上記の画像、リンクをクリックすることで、サウンドクラウドより、バガヴァッド・ギーター、ヒーリング瞑想音源をお聴きいただけます。



たとえば、感情を爆発させて、怒っている人と対峙するとき、こちらも哀しくなりますし、「わたしは悪くないのに」とまるで、犠牲者のような窮屈なきもちになります。

でも、肉体を持った個体の背後、もしくは核(コア)には、穏やかで、ゆるぎない、その人の本質がいつも、同時に存在しています。

「わたしはあなたの波(感情)だけを見て、逃げたり、嫌ったりはしない。なぜなら、その下に海底のような、やすらかな場所がいつもあるのを知っているから」

これは、わたしのパートナーであった人が、わたしが感情的になって、泣き、怒っているときにかけてくれた言葉ですが、


クリシュナ、というのが、イーシュワラ=普遍的存在であるのなら、
わたしたちのなかにも、人間として、迷い、嘆くアルジュナの対として、つねにクリシュナとしての本質が存在しているのだということ。


目の前にいるその人は、ほんとうは誰ですか?

鏡に映る、あなた自身はほんとうは誰ですか?
肉体を持ち、迷い、苦しむ個体としてのわたしとあなた

その内側、もしくは、それを包む、目には見えないけれども、より普遍的でより大きな意識体としてのわたしとあなた

その両者を認識し、愛(いつく)しむことで、わたしたちは自らのなかのイーシュワラ(神性)に気づき、つながることができるのだと思うのです。



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姿かたちなき存在である「イーシュワラ」の本質を知らず、特定の形を、持って現れた「アヴァターラ」状態の姿だけを見て。これが〝イーシュワラである〟と、真実を知らない者は思っている。
彼らは限られた意識状態であるために、わたしの永遠不変の性相(すがた)を認識できないのである。
バガヴァッド・ギーター 7-24


日本語訳参考
神の詩 バガヴァッド・ギーター
田中嫺玉 訳

バガヴァッドギーターカード
向井田みお

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