そんな日もあるよね
こんばんは、御守ミコです!
めちゃくちゃ読みづらい文になりそうな予感〜
耳が悪くなった〜
↓前回
↓今回
別件で耳鼻科の異常があり受診したらこういうことでした
わたしのもともとの障害はそれ以上良くも悪くもならないはずのものなんですがなぜか悪くなってました
わたしはもう自分の耳のことで悲観するターンは終わったし、そもそも正しく聞こえる状態を知らない(厳密に言うとがんの治療による後天的なものですが2歳とかなので耳が正常だった時の記憶がない)ので耳が悪いという感覚すらなくて、本当に、人から思われているよりもなんとも思ってなかったです。
わたしにとってはわたしに聞こえる音がすべてだけど、この世界には他人がいるから、それ以外の音があると知りました。でも知識としてあるだけの、わたしの中にはもともと存在しないものなので、それに対してどういう感情を持ったらいいのかもわからなかったです。
この世界に自分ひとりしかいなければ、自分は正常なのです。
ただひとつだけ悲しいなと思うことがあって、それはわたしは音楽が大好きで、その大好きな音楽の本当の姿を絶対に知ることが出来ないこと、作者が意図して入れた音がわたしの耳には入ってこない場合があること、そしてそれに気付くことすらできないことです。
スピッツの「野生のポルカ」という曲では、前奏や間奏で高い音の楽器がメロディーを奏でますが、その楽器の周波数が聞こえると聞こえないに跨っているのか、音が不自然に消えたりまた出てきたりします。わたしの知らないメロディーがあるんだな、と思います。これは知らない音があることに自分で気付くことができるパターン。
きのホ。の「スタートライン」のダンス練習で「こういう音が聞こえたらこの体勢に」という指示がありました。その音はわたしには聞こえない音でした。これは人から言われて気付くことができるパターン。
でも大抵音楽を聴く時には自分ひとりで、他人と一緒だとしてもわざわざ、全ての音を人が説明することなんてあるわけがないので、わたしは、どこが違うのかなにが足りないのか気付くこともできないまま聴いています。気付いたところでそれを受け取ることはできないんですが。
音楽は人が意志を持って作ったものなので、その人が聴いて欲しいと思ったそのままを受け取れないのは寂しいなと思います。
でもふとした時にそう考えてしまうくらいで、普段はわざわざ耳がどうとか考えないし、好きな曲は本当のものとは違うとしても好きだし、存在しない音になんか思ってもしょうがないし〜っていうかなにを思ったらいいのかもわからないし〜というマインドで生きてました。
そして今回なぜか聴力が落ちてました
2000Hz~はもともと、日常生活で聞こえない音なので、それがもっと聞こえなくなろうがなんの感情もないです。
そしてそれより低い、普段は聞こえる音の聴力が低下したことについても、「別にちょっと落ちただけだしなあ」と思いました。
結果を見てもあまりダメージを受けなかったです。
そしてさっきなんとなくぼーっとしていたらふと、今まで存在していた音の世界が狭まったということだと気付き、このまま自分の世界から音が減っていくだけなのめちゃくちゃ怖いなという気持ちになってきました。
わたしにとっては、2000Hzが聞こえないことよりも、1000Hzが少し聞こえづらくなったことの方が悲しい。
聞こえていた音が聞こえなくなるの、怖いな〜
今回に限らず、例えばこれから先老化に伴って耳が悪くなったら、とか、この謎の低下が止まらなかったら、とか考えると、ヒエ〜〜😭😭ってなる(急に変なテンションになるな)
人は声から忘れていくとよく聞くけど(根拠があるのかは知らない)、その理論でいくと今まで聞こえていた音のことも忘れていってしまうのかなあ、と思いながら書いてた。
元気出すために明日はカレーを食べに行く、、このまえ猛烈にカレーの気分だったのに正月休みでたべられなかった、、、、、パリパリのナン、、、、、、、、、
わたし今日ハンバーグカレードリア食べたんだった、2日連続カレーになっちゃうけど良いよね〜
そんな日もあるよね!
タイトル決まらないからこれにしちゃお(雑)
寝〜〜