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(読書)わたしたちに翼はいらない 寺地はるな 

寺地はるなさんの、わたしたちに翼はいらないを読みました。
読んで考えたことを書きます。

寺地さんの本を読むのは、これが初めて、新聞の書評で知りました。

登場人物は元同級生のリコ、アカネ、ソノダと他数名。
彼らは30代前半でトカイナカに住んでいる。
偶然の再会。
関係にかつての「学校」カーストが残っていた、卒業してから10数年経つというのに。

リコの仲間は、カースト上位に君臨していたため、「あのころ」に思いを馳せ、自分たちは「輝いていた」「最強だった」と酔いしれる。

それはまるでいつまでも大人にならない、なれない人たちのあり方。

アカネとソノダは、カースト下位。
「あのころ」にいい思い出などひとつもない。
ものがたりはやがて、悲劇を引き起こす。

アカネという人物にわたしは、親しみと憧れを覚えた。
人一倍繊細、しかし鋼のような強さを内に持つ。
それは、鍛錬された強さなのだ。
依存と信頼の境界をよく心得ているひとにわたしは憧れるから。

リコには、全く理解も共感もできない。
どこまでもご都合主義なひと!と呆れるが、
なぜか憎めもしない。
彼女の勘違いや思い込み、プライドの高さを哀れに感じてしまうのは、おごがましいともおもう、誰しも片鱗くらい、あるだろうから。

ソノダは、やさしい。
やさしさは、時に苦しい。
よく自暴自棄にならずに生きてこれたね、と肩を叩きたくなるようなひとだ。
姪っ子や義姉へかける言葉のセンスがひかるひとだ。
もしソノダさえよければ、話をしてみたい。

・・

著者の寺田さんは言う。
子どものころ、ケンカやトラブルで仲裁に入られ、おとなから「はい、仲直り」と言われることに違和感があったと。
必ずヤられた側は、そんなに簡単に気持ちの整理はつかないはずだ。と。
その想いを膨らませてこの作品につなげたそうだ。

なるほど。
だからわたしにとっては「痒いところに手が届く」感じがするのだなとおもった。

本書には響く言葉がいくつもあったので紹介したい、以下引用。

でもおかしくてもいいじゃないですか。
他人には「それだけ?」と言われることであっても
ソノダさんには、重要なことだったのでしょう。

アカネがソノダに話すシーン

雲に届くように高く飛べと先生は言った。
君には翼があると。
群れから離れ高く飛翔する者は美しい。
そのような生き方は美しい。
強く気高い者は美しい。

それでもアカネは飛ばない。どれほど醜くても笑われても地べたを歩いていこうと決めた。

ひとりで生きていけ。
これから先、助けてくれる人間などいない。

君は1人じゃない、と言われるよりマシ。アカネの談

美しい物語は、いったい誰のために用意されたものだろう。
被害者に未来の希望を与えるため?
彼らの傷を癒すため?

いや違う

加害者や傍観者を守るために用意された物語だ。

だって被害者が自分で悟って勝手に努力して幸せになってくれたら誰ひとり、責任を取らなくて済む。

親という生き物の繊細な部分を突っつけば自分の要求を押し通せるとおもっている人に負けてはいけない。

人の声には手感触がある。


・・引用ここまで

どんな手触りの声が好きですか?
わたしは、木のぬくもりのような、触れるとあったかい音の声かな。

ものがたりのラスト。
リコとアカネが、じぶんたちは『友だち』かどうか、を考える。
彼女たちの答えが興味深い。

互いに自立したにんげんとの関係は、
言葉に頼らなくても、言葉で括らなくてもいいつながりを形成できることなのかもしれないなと本書を読了しておもった。

おしまい