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世界で一番可愛い17歳のおばあちゃん

先日、初めて小さな命とお別れをした。
昨年三月末ごろから一緒に暮らし始めた、17歳のおばあちゃん猫だった。

ありがたいことに身内の祖父母はまだまだみんな元気で、二十余年生きてきて、近しい人の死に立ち会ったことが物心ついてからまだ一度もない。
そんな中での出来事だった。
書くか書くまいかかなり迷ったこのnoteだったが、まだ時間のあまり経っていない今日この頃に、この感情と向き合っておかないといけないような気がして書くことに決めた。


昨年の3月末に暮らし始めた高齢猫は、もともと今の同居人のご実家で飼われていた子だった。
同居人が小学生の頃から飼い始め、その後同居人が一人暮らしをし始めても、ご実家で穏やかに健やかに暮らしていた猫だった。

そのご実家が昨年4月、関東を離れ北海道へと越すことになった。環境が変わることがストレスとなる猫。飛行機での移動に耐えられず、降りた時にはもう、なんてことも可能性がゼロではないらしい。ましてや高齢ともなるとそのリスクは確実に上がる。
そこでちょうどこの頃引っ越しを検討していた同居人(と私)が「たった数時間の移動で万が一の可能性があるなら、最期を看取る意味も含めて一緒に暮らしたい」と、うちで引き取ることを決めたのだった。

そんな思いがあって暮らすことを決意した同居人。私も猫は大好きで、いつか飼えたらなと思っていたので本当に嬉しかった。

このコロナ禍でどこにも出かけられない中、家にいることの幸せを生み出してくれたのは他でもないこの猫との生活だった。
人見知りもあまりせず(というよりは、あまり興味がなさそう)、私にもすぐに懐いて甘えてきてくれた。

(引き取った当時)16歳という年齢もあるが本当に穏やかな子で、家のどこを引っ掻き回すわけでもない、暴れるわけでもない、牙も剥かなければ爪も立てない。ただただお気に入りの場所を見つけてくつろぎ、たまに甘えて、ぱくぱくご飯を食べて、たくさん寝る。本当に文字通り穏やかで健やかな毎日を送っていた。
仕事が終わって玄関を開けると、ドアの前まで迎えに来てくれる(正しくはご飯を催促しにくる)姿が本当に愛おしかった。

スマホのカメラロールを見返すと、先月までは本当に元気だったのに、と不思議に思う。
もともと慢性的に腎臓が悪く、毎日自宅で同居人が皮下点滴をしたりと多少の日々の治療はあれど、それでも毎日ご飯は本当に年齢を感じさせないほどバクバク食べていたし、大きな声で良く鳴いていた。

体調が急変してしまったのは今年のGW前ごろ。足腰が急に弱ってしまい、さらに歯周病が悪化したことで食べる量が急激に減ってしまった。
みるみるうちに痩せて、半分寝たきりになってしまった猫。それでも寝返りを打つ姿が、薬でようやく痛みが和らぎ、少しずつでもご飯を一生懸命食べる姿が本当に嬉しかったし、どんなにヨボヨボのおばあちゃん猫になったとしても、間違いなく世界で一番可愛かった。

少しずつでも食べることを続け、毎日の点滴も続けて、とりあえず問題なく排泄もできている…
昨年ほど命の火は強くないけれど、例えるなら5月頃からはずっととろ火で、あの子の命は燃えていた。それをどうか穏やかに居られるよう守りたいと、私と同居人は介護をしながら一緒にいたのだと思う。

遠くはないお別れの日は必ず来る、とその頃から少しずつ覚悟し始めたように思う。けど覚悟ってなんだ?隣にいるのに?お別れを想像するのなんて絶対に出来なかった。したらしたでそれだけで涙は止まらないし、とろ火で優しく命を燃やすあの子に失礼なんじゃないかと思っていた。
今までも、もしかしたら…と思っていたら数日後ケロッと元気になってしまうことも多々あった。
このまま一生懸命介護を続ければ、穏やかにあともう数年は過ごせるんじゃないかとそんな気がしていた。

非情にもその日は突然やってきた。
もともと元気だった頃に比べれば食べる量はかなり減った方だったが、その前3日ぐらいは日にスプーン2杯程度のお水やご飯を口にすれば良い方だった。
その日かかりつけの獣医さんに診せた時に、「今体を冬眠しているような状態にして、極力消費するエネルギーを抑えている」のだと言われた。体温計では測れないほど、低い体温になっていた。
普通なら何日も飲まず食わずになるのが普通の体の状態で、一口でもご飯を口にしたことが本当に凄いらしい。
食べられなかったんだね、何も分かってあげられなくてごめんね、栄養摂らなきゃって食べさせてごめんね、私は何度も謝った。
それでも、最期にいちばんお気に入りのご飯を口にして「美味しい」と思ってお空に行ってくれていたらいいなと思ってしまう。

体温が測れないほど低いので温めてあげたほうがいいと言われ、急いでホットカーペットを用意し、ブランケットに包んでたくさん撫でた。
けれど、病院から戻って数時間後、最後は呼吸が少し苦しそうになり、お空へと旅立ってしまった。

同居人も私も、その日とそれまでを含め、してあげられることは全てやったと思ってはいる。

ただ、
あの時食べさせることをしなければ?
もう少し早く暖めてあげられたら?
最期に呼吸が苦しそうになった時、もっとしてあげられることはなかったのか?
もっともっと名前を呼んで、沢山撫でてあげていたら?
何も変わらなかった可能性の方が大きいのかもしれないけれど、どうしてもそう思わずに居られなかったし、最期の瞬間の顔を思い出さない日はないし、今もそう考えない日が無い。

最後まで本当に優しい子だったのだと思う。
金曜日の夜に旅立ってしまった。翌日二人とも仕事がない日に、ちゃんとお別れをしてあげられるように、その日を選んだのではないかとすら思う。
そんなわけないんだろうけど、そんな気がする。
命のとろ火が消えるその時を、二人に看取らせてくれたこと、最期にありがとうと愛してるを惜しみなく伝えさせてくれたこと。涙はどうにも止まらなかったけれど、最期のその時に側にいられなかったら、もっともっと後悔していたのだと思う。


翌日の朝、自宅の近くで火葬をした。
大好きだったご飯は一緒に入れてあげられたけれど、お花も沢山一緒に入れてあげられたら良かったと思った。翌朝一番だったこともあり、そこまで気が回らなかった。また後悔が増えてしまった。
けど、きっと一つも怒っていないんだろうなと思う。

夜中のうちはまだ体がそばにあることが救いで、体が無くなってしまったらそれこそもう耐えられないのではないかと思った。お骨になったあの子を見たらよりショックを受けるのではないかと怖かった。
けれど、魂だけをお空に返して、体もお空に返してあげないと自由に動き回れない。そう思うようにしていた。

自分の気持ちがどうなるのか怖かったお骨上げ。
不思議と思っていたより心は落ち着いていた。たしかにそれまでと姿は違ってしまったけれど、あの子を中で支えていたひとつひとつにありがとうという気持ちで骨壺におさめることができた。
これでお空で自由に動けるね。もう歯周病でお口も痛くない。腎臓も悪くない。沢山食べて、沢山寝て、沢山遊べる。そう思ったら寂しさはやっぱり尋常では無かったけれど、少し安心した。

火葬の最中、家から車で1時間程度のところに、ペットの仏具店があるのを知った。
火葬が済んでから、お仏壇を作るべくそこへ足を運ぶことに。
お水とご飯のお皿は普段使っていたものを置いてあげたかったので、小さなおりん、香立て、花立て、お線香、蝋燭、写真立てを買って、世界で一番可愛いお仏壇がうちに出来た。
火葬の時にお花を入れてあげられなかった分、これからその都度生花を活けてあげたいと思った。
生前、うちに花なんて置いたことがなかったから、物珍しく思っているだろうと思う。

それから不思議なことに、毎朝起きなくてはいけない時間の1時間ほど前に一度目が覚めるようになった。たった一度ではなく、毎日。
同居人も私もなかなか起きてこない時、私の顔の前まで来て大きな声で鳴いて起こし、朝ごはんを要求していたので、きっと毎朝ご飯を催促されているのだと思う。なかなか起きなくてごめんね。でも、こうして会える気がするのなら、私は毎朝こうして目覚めたい。

家の色んなところにお気に入りの寝床を持っていた子だったので、今でも「あ、今あそこで寝転んでいる気がする」というのがよくある。
家から一歩も出たことがなかったので、たまにでもいつもでも、きっと家にまだよく入るのだろうという気がしている。

私が泣いているとなぜか知らないうちに近くに寄って来てくれる優しい子だった。
今でも私が寂しくて泣いていたら、側に来てくれているんじゃないかと願ってしまう。
馬鹿で弱い家族だからまだまだ泣いてしまう日ばかりだけど、時間と共に癒しながら思い出をずっとずっと大切にしたい。

お空は寂しくないかな。ほかの猫と遊んでるかな。
美味しいものは沢山食べているかな。元気に動き回ってるかな、それとものんびり寝て過ごしてるかな。
地上の家族は寂しくなってしまったけど、何十年か先にそちらに行ったら、また沢山撫でさせてね。

世界で一番可愛い17歳のおばあちゃん。

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