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フリーランスファッションデザイナーの自己紹介

林 美佳 (Mika Hayashi)
1976年 茨城県出身

美容師の母の影響で小さいな頃から個性的な洋服や美しいものに触れる機会が多く、東京造形大学グラフィックデザイン科へ進学。
在学中に友人のすすめで彫刻の世界に魅了され、人体の彫刻を制作していくうちに、作品の外側=服などを装飾しはじめる。

それが服飾との出会いで、自分主宰でファッションショーを開催。
その後はデザイナー職を目指して大学を中退し、文化服装学院へ。
アパレルデザイン科で3年間学び、株式会社アバハウスインターナショナルへ入社。

布帛・ニット・カットソー・アクセや靴というALLアイテムをデザイン出来るのはアパレルの中でも比較的珍しく、今思うとこの時の経験が後々かなり役に立つことになる。
布帛は生産&パタンナーが付いていたが、他アイテムに関しては全て自分で生産までを一貫して担当しなければならなかった。もちろん時にはカットソーのパターンを自ら作成する事もあった。

学生時代は「デザインだけできればやっていけるだろう」とかなり安易な考えをしていたが、学生時代と現場に大きな隔たりがあり、すぐに先輩から「出来ない」のレッテルを貼られてしまった。

1)量産できるようなデザインなのかという判断力がなく、生産担当と揉めやすかった。
2)パタンナーがなぜ怒っているかが理解出来なかった。学校で描いてきたデザイン画は現場では通用せず、一般的な平絵がかけなかった。
3)布帛しか学んでこなかったので、素材に応じたデザインを考えられなかった。
4)生産の工程を理解できていなかった。
5)業界用語が多すぎてついていけなかった。

この5つでつまずいて、理解した上でできるようになるまでには2年ほどかかったが、最初のイメージがついてしまっていたため、実績をあげて納得してもらうまでに時間がかかってしまった。
4年目でパタンナーとうまくコミュニケーションが取れるようになったことで、売れるものを作れるデザイナーになり、ブランドのディレクションやMD業務を任されるように。
生活スタイルが大きく変化するきっかけがあり、入社9年目でフリーランスデザイナーとして独立する。

最初は繊維商社数社とデザイナー契約。
会社によって契約内容が異なるため、デザインだけ担当すればいい場合もあれば、営業・企画・生産全てを請け負う場合もあった。

当時は韓国生産が上り調子で、私も日本の会社との契約を継続しつつ、韓国の会社ともデザイナー契約をしていた。
1年間韓国に住み、日本を半々で行ったり来たりの環境で仕事をする日々。
この経験で工場との直接のやり取りの難しさや大切さなども学ぶ。

2018年、一緒のチームで仕事していたメンバーと2人で企画会社D-HASHを設立。
服のデザインをメインにして、オールアイテムの幅を花のデザインにまで広げ、ライフスタイル提案に特化。

これまでの自身の経験から、「学校で学ぶこと」と「実務での歪み」をなるべく少なくしていきたいと、これから企画職を目指す方に向けたHOW TOセミナーを開催し始める。

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