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自分を生きる❗

小さな怒りを感じた。
何度も感じた。
外には出さなかった。

ある日、怒りをぶつけられた。
悲しかった。
怖かった。

それは、僕が持っていた怒りだったかもしれない。

僕が持っていた怒りが、世界に現れたのだとしたら、
それを終わらせよう。
感謝の気持ちで終わらせよう。


あの人は、僕を馬鹿にする。
僕のことを、役に立っていない、何もできていない、と言う。

僕は、あの人はがんばっているな、と思っている。

でも、心の奥底で、あの人のことを馬鹿にしている自分がいることに気が付いた。
言葉には出していない。
そう思っているとも知らなかった。

でも、それは、あった。

僕が持っていた蔑みが、世界に現れたのだとしたら、
それを終わらせよう。
感謝の気持ちで終わらせよう。


文句を言われる。
軽蔑される。
怒られる。
憎まれる。

そんなとき、
怒ったり、悲しんだりするのは、当たり前。

当たり前を変えてみる。
感謝の気持ちを持ってみる。
それは、僕がもっていたものが世に現れただけなんだから。


人の中にはすべての種類の欲求がある。
大きかったり、小さかったりするかもしれない。
でも、全ての欲求がある。

目の前の人が持っている欲求が、自分には信じられないものだったとしても、よくよく考えてみると、分かる。
自分の中にも、それはある、ということ。

子どもを見ていると、もっとよく分かるかもしれない。
純粋に、感情むき出しに生きている年頃の子は、欲求を露にする。
大人はたしなめる、どうしてそんなことするの、そんなことしてはいけません、と。

社会性や理性で矯正され、正しいか正しくないかで生きている自分は、もう、忘れてしまっている。
その欲求を、自分も持っている、ということを。

彼らはただ、素直にそれに従っているだけ。
そして、それも、自分の中にあったものが世に現れただけ。

子どもが部屋をちらかした。

自分も子どものように後先考えず、自由に、奔放に好きなように過ごしたいのに、それができない。
自分はそんなことできない。
だから、怒りが湧く。

子どもが部屋を散らかしたから怒ったんじゃない。
自分ができないことを子どもがしていて、それに腹が立ったんだ。
散らかっているままでもいい、自分も後先考えず自由に過ごそう、と思っていたら、怒りは出ない。

怒りの原因は、自分が我慢していることを、相手がしたとき。

空腹のとき、食べている姿を見せつけられるようなもの。

怒りが大きければ大きいほど、それは、自分の中の我慢が大きいと言える。

だから、怒りを相手にぶつけることは、やめてしまおう。
まず、自分の望みを知り、満たされるべき。
それができたら、怒りはいらない。


散らかせばいいとは言ってない。
自由でいたいと思っている自分を認めること。

そうしたら、相手をも認められる。

相手は、自分の内面を映し出し、それを教えてくれただけ。
感謝すればいい。
怒りはいらない。


もし、何の制限もなく、今、この瞬間に好きなことができるとしたら、何をする?

目の前にいる人と自分のどこが違う?




意味不明に聞こえるかもしれない。
そんなわけ、あるはずがないと思うかもしれない。

ほとんどの人がそうだと思う。

でも、僕は知ってしまった。

信じてるんじゃない。
知ってしまった。

知ったら、戻れない。

言葉を大切にしよう。
行動を大切にしよう。

心を大切にしよう。

素直に生きよう。

そうじゃないと、心に澱が溜まってしまう。
そして、いつか、誰かに見せつけられる。

だから、自分の本当の気持ちを大切にしよう

たぶん、それが、自分を生きるということ。
すごく、単純だけど。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨✨✨


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