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思いがけないこと

こんにちは。久しぶりににブログを再開しました。

それでは前回の続きをお話ししていきたいと思います。

地元に戻り、福祉施設での調理員の仕事が始まった。今までやっていた仕事の内容とほぼ変わらなく、変わるとすれば職場の人くらい。みんな優しくしてくれていたし居心地の悪いことは一切なかったし、楽しく仕事もできていた。

一年くらい経った時、急いでバタバタと走りながら物を取りに行った際に思いっきり転んでしまい、両膝を床にぶつけてしまった。暫くの間は痛くて動けず、そのままの状態で落ち着くまでそこにいた。まぁただの打撲だろうと思っていたからそのまま仕事を続けた。

だが、帰るころになってもまだ痛さが残っていたため、変に思って帰りに整骨院に行ってみることにした。打撲でマッサージなどをしてくれてそれで終わり。次の日も、その次の日も痛みが治まらず。また膝を曲げることができなくなってしまったので病院へ行くことにした。両膝に水がかなり溜まっていて、抜いてもらった。

レントゲン。後日Ct・MRIを取ってみて先生が何かおかしいと言い出し、直すためには手術しかないと言われた。それも両膝ともに。まだ仕事を続けたかったから、手術をすることに決めた。職場の皆には、手術して治ったらまた必ず戻ってくるからと宣言してお休みをいただいた。

1度目の手術:左の膝の軟骨除去

2度目の手術:右の膝の軟骨除去

どちらも膝に穴をを三カ所開けて下半身麻酔で行ったので、先生から手術中の状態を教えてもらえたし、とにかく私の場合は「この年齢でこんな状態の人は見たことがない」と言われ、要するに軟骨がすり減りすぎていてしまい、骨と骨がぶつかっている状態であると聞かされた。

これだと、立ち仕事は無理ですねと言われた・・・

手術室台の上で。

今でも覚えているが、今後、調理の仕事ができないと分かった時に、ぽろぽろと涙が出た光景をいまでも忘れたことは一度もない。辛かった・・

病名は【両大腿骨軟骨損傷】

手術が終わり少しは楽になったかなと思ったが、足の痛みと、痺れが残り、それを主治医に伝えたところ、それを治すには、自分の軟骨を削って移植するしかないと言われた。ただその手術をやっても、必ず良くなるという確実性はないけれど、やってみる価値はあるかもしれないと言ってくれた。考えて、移植の手術を受けることになった。右の方がひどかったので、右から移植術をして、経過がよければ左もすることとなった。

手術が終わって、厳しいいリハビリにも耐えて、一か月半入院生活がとりあえず終わった。ただ、手術後にCRPS(複合性局所疼痛症候群))の症状ができたのである。どんな痛みかというと、ビリビリ、ジンジンするような触ると電気が走るような耐え難い痛みだ。

そのあと退院してからリハビリもずっと続けていたが、痛みの方は色々な薬を出してもらったのだが、一向に効かず・・だから、とにかく痛くなっても耐えるしかない状態が何年も何年も続いた。

走ったりすることはできないが、プールで歩くのは良いらしく、たまにプールでウォーキンングをしたりした。歩行は基本杖を使っている。家の中では使ったりしないが、外に出た時に初めて行く場所だった場合などはどんなところかわからないので、自分が困らないために杖は必需品。あとは、自分の身を守るためのアイテム。周りから「この人は足が悪いんだなぁ」ってわかるようにするために。

何年もの間、杖を突きながら歩いている自分を見られているのが、たまらなく嫌だった。中には、じーっとこちらを気の毒そうに見ている人もいた。本当に辛かった。でも、こうなってしまった以上、どうすることもできない。

どうやって、今の自分を受け入れていけばいいのかずっと考えた。1度目、2度目の手術の時のビデオを先生が撮っていて、それをほしいと言ってもらったビデオ。退院後、私はその手術中の映像が映っているビデオを何度も何度も見た。泣きながら自分に【頑張れ!!】と何度も言い聞かせて現実を頭に叩き込んだ。逆療法かもしれないけれど、それしか思い浮かばなかった。自分の現実を受け入れるまで、相当な時間がかかった。そして先生の勧めもあり、身障者の手続きをして身障者4級になった。

その後、仕事はやむを得ず、退職することとなった・・本当に悔しかったけど。

今日は、ここまでにします。

最後まで見てくださりありがとうございました。

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