見出し画像

[音楽分析2]音楽と人との関わりについての一考察

只今、執筆活動が滞っています。そうならざるを得ない環境にあります。先月まで書けていたペースが乱れています。早く落ち着きたい…(愚痴っぽくてスミマセン)。

それはどうとして、今回は、前回同様これもみちよsanの本丸ともいうべき、「音楽と人との関わり」についての私見を書き込みたいと思います。人が音楽と関わるとき、様々な方法、手段が取られると思いますが、以下、簡単にリスト化します。すべて、頭に「音楽を(が)」がつきます。
1) 聴く(テレビやネットで見聞きする):自ら選んで聴く、環境音として流れたものを受動的に聴くなど
2) 奏でる:これまた、自ら選んで演奏する、あるいは学校教育などで楽器を鳴らすなど
3) 作る:作曲する、編曲するなど
4) 導く:指揮をする、教える(指導する)など
5) 利用する:宗教の場で捧げる、労働・運動・戦いの場で用いる、子守唄など
6) 作用する:音楽療法、思い浮かべることで安心安定するなど
7) 書く:音楽評論、書評、論文など
まだまだあるかもしれないですし、場合によっては項目間がまたがっていることもあるかもしれないですが、一考察として挙げてみました。

みちよsanは、音楽のあらゆる場面と関わりたくて、この7項目を全制覇しようとしているところです。でも実は、どれが自分にとって得意なのか、自分にふさわしいのか、自分の能力に合っているのか、それがいまだにわかりません。「2)演奏」が合っているのは打楽器?、でも人と比べると私なんて、と思ってしまいますし。自分が聴きたい音楽を作りたい!と励んでいる「3)作曲」が合っていると思いたくても、自分以外の人にはあまり受け入れられないためか、本腰入れて取り掛かれる覚悟がないためか、芽も何も出ない状況ですし。
もちろん、合う合わないよりも、どれを好むか、という基準で考えてもいいと思いますが、なかなか「これが1番好き!」が思いつきません。

もしかしたら、その時の自分の状況や体調や気分と関係しているかもしれないと、今思いつきました。例えば、人と関わりたくない、自分だけの世界で黙々と楽しみたいときは「3)作曲や編曲」かもしれないですし、誰かと一緒に音楽を楽しみたいとすれば「2)奏でる」や「4)導く」が合っているかもしれません。「導く」はいわゆる「教える」なんですが、若かりし頃から、教え方が上手と言われたことがあり、それでいい気になって、今も続いている感じです。でも、強く言うことができないので、教えた人は、自らの力で上手になってもらうしかない、という、不甲斐ない状況です。そして、今年になり、ちゃんと音楽についてまとめたく思い「7)書く」について励もうとしていましたが、今はなかなか取り組めず…(また愚痴ですね、スミマセン)。

で、書くことについては、「6)作用する」について、これは意図的に音楽を頭に思い浮かべて自分を鼓舞する、というのも考えられますが、私が気になっているのは、音楽が無意識に頭に思い浮かぶとき、人はどんな状態にあるのか、音楽がどのような作用をもたらしているのか、その問いを追求して書き留めたいです。それが、みちよsanのnoteの目的でもあります。また今後、ゆっくり考えていきたいです。

それにしても、音楽に対する取り組みも、こんなに広く浅くになって、しかも途中で放り出すものもあって…反省しきりです。本当は「趣味は音楽活動です」と気軽に関わりたいのに、「私の人生を左右する」と自分を追い詰める関係になってしまうなんて、その割には人生をかけるほどの時間もお金も気力も注ぎ込めていないんです。例えば、音楽大学に進学し、プロの音楽家になり、何時間も楽譜を見ずに演奏や指揮ができ、聴いた人みんなが感動する、そんな域になるまでには、音楽に捧げる時間もお金も気力も想いも、とてつもなく大きくて、そして大事なのが「継続できること」、これができていたら、プロ、専門家、と言えるのですが、そう言える自分になりたかったのですが…(あ、また愚痴モードになりそう、ここまでにしよう)。

まあ、人並み、あるいはそれより劣る「継続する力」、をもってしまった自分が出来ること、覚悟も持てずに中途半端でいる自分が自分なりに出来ること、今後も模索したいですし、そんなに肩ひじ張らずにゆるゆる楽しめる、ほど良い関わりであるのも、大事かな、と思います。その場その時に出来ること、したいこと、をやってゆけばいいでしょうか。いつか何かが、芽が出ることを期待して??

愚痴っぽい長々した文章を、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?