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リヒャルト・シュトラウス生誕160年「Capriccio」Op.85

今朝、リヒャルト・シュトラウスのコンサートの記事が出ていました。
「リヒャルト・シュトラウス 160周年生誕祭」が行われるということです。

ネット記事は最後に貼っておきます。

シュトラウスに関係の深いイゾルデ・アールグリムについて、そして最後のオペラ作品「Capriccio」について書いておこうと思います。

アールグリムはドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの親友であり、1943年にウィーンのコンツェルトハウス(モーツァルト・ザール)での彼の79歳の誕生日でコンサートを行っている。

リヒャルト・シュトラウスの最後のオペラ「カプリッチョ」(1942年)の初演で演奏したイゾルデ・アールグリムはのちにシュトラウスの提案により曲中「Tanz」の部分を舞曲組曲にして、チェンバロ・ソロ曲として編曲し、ショット社から1946年または1944年に出版している。


「カプリッチョ」は他に3つのバージョンがあります。

2violin 2viola 2cello 弦楽六重奏曲  TrV279a(1943)
violin cello harpsichord. TrV279b. (1943)
harpsichord. TrV279c (1944).  Tanzの部分3楽章にまとめられた。

ショット出版のチェンバロバージョンはイゾルデ・アールグリムによるレジスター指示や注釈が載っている。
ほとんど判別できない書き込みと、書かれているが、モダンチェンバロ弾きとしては充分なヒントが書かれていると言える。
モダンチェンバロのレジスターはまるで絵の具を配合して色を作るように微妙なニュアンスが可能になります。
まさにそのような細かい指示が書かれているのですが、おそらくこの編集者はモダンチェンバロのレジスターの書き込みの意味がわからなかったのでは無いかと思います。
よくぞ残してくれた!

私の「チェンバロ創世記」にもこれから発表する曲の一つですが、準備中です。


イゾルデ・アールグリム氏は我が師 山田貢氏が師事された方です。楽器蒐集家エーリッヒ・フィアラ(1911年 - 1978年)(今も続いていうるウィーンのチョコレートメーカーのオーナーだったという話やオリジナルチェンバロも多数所有し、妻であるイゾルデ・アールグリムが演奏していた話は先生から伺いました)と共に1937年から1956年にかけてウィーンで「愛好家とアマチュアのためのコンサート」という長期にわたるシリーズを開催しました。このコンサートには、16世紀から20世紀までの音楽の74の異なるプログラムが含まれており、このレパートリーの多くは現代音楽として初めて演奏されました。(参照: wiki)

その中でも彼女はアンマーモダンチェンバロを演奏し続けます。



彼女は、J.S.バッハのチェンバロ作品のほとんどすべてを演奏し、録音した最初の人物である。1949年から1950年、および1952年から1953年にかけて、ウィーンで12のプログラムでバッハ・サイクルを演奏した。最初のバッハ・サイクルのうち4つのプログラムのプレコンサートで約600人の聴衆を前に、アールグリムは、バッハの最後の作品であるフーガの技法を、鍵盤楽器のオリジナルの形で演奏することの是非を主張した最初のチェンバロ奏者であり、このアイデアは、当時、彼女の若い同僚であるグスタフ・レオンハルト(1928年〜2012年)も取り入れていた。(wiki)


リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864年6月11日 - 1949年9月8日)は、ドイツの作曲家・指揮者。後期ロマン派を代表する作曲家の一人であり、リヒャルト・ワーグナーとフランツ・リストの後継者と言われている。交響詩とオペラの作曲で知られる。ウィーンのヨハン・シュトラウス一族とは血縁関係はない。

イゾルデ・アールグリム(1914年7月31日ウィーン生まれ - 1995年10月11日ウィーン生まれ)はオーストリアのチェンバロ奏者、フォルテピアニスト。1975年にオーストリア金メダルを受賞した。




6月11日(火)にあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールにて『KCM Concert at The Pheonix Hall, Osaka~関西圏の最大拠点 梅田で展開する藝術音楽~リヒャルト・シュトラウス 160周年生誕祭Richard Strauss (1864.6.11-1949.9.8)』が開催される。…
ソース: SPICE(スパイス)|エンタメ特化型情報メディア スパイスhttps://search.app/jnrkxzNruo1vQtt39

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