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ジャガイモと音楽と犬を愛するフリードリヒ2世
サンスーシ (Sans Souci)」とは、もともとフランス語で「憂いなし」を意味し、1990年に、宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ベルリン・ブランデンブルク空港から汽車で1時間余りのポツダムを経由、さらに汽車で25分ほどでサン・スーシ宮殿に着きます。ロココ建築宮殿です。
この宮殿はフリードリヒ2世が1745〜1747の2年間のうちに建てた「夏の離宮」であった。
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宮殿への階段は6段の葡萄畑になっています。
フリードリヒ2世の宮廷にはフルート奏者で作曲家のクヴァンツ、1732年から大王に仕えたヴァイオリンの名手で作曲家のグラウン、同じくヴァイオリンの名手で作曲家フランツ・ベンダらがいました。また、大バッハの次男C・P・E・バッハが1740年から1767年までチェンバロ奏者として仕え、父の大バッハをフリードリヒ2世に紹介しています。バッハは死の3年前にこの音楽室で演奏したのだろうか?
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トラヴェルソを好んだフリードリヒ2世は、1735年(23歳)から1756年(44歳)にかけて、自分の楽しみのためのフルート曲を作曲しています。彼の作曲数は多く、フルート・ソナタだけをとっても実に121曲に及び、『フルートのための通奏低音付きソナタ』『フルート協奏曲』などがいまに伝わっています。
1747年(35歳)、62歳の大バッハがポツダムを訪問した際、フリードリヒ2世がバッハの即興演奏のために与えたといわれるテーマを基に、バッハの『音楽の捧げもの』が誕生したと伝えられます。
音楽の捧げ物
フリードリッヒ2世 フルート協奏曲ハ長調
庭園には中国式茶寮やイタリア式庭園など、桃源郷が配置され、離宮で憂いなしで、ここは天国?ですね。
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サン・スーシ宮殿に眠るフリードリヒ大王の墓。じゃがいもの栽培を民衆に勧めて歩いたという王らしい。お供えはじゃがいもで。遺言どおり愛犬たちと一緒に眠っている。
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