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チェーホフの百万本のバラの花

サハリン国大 エレーナ・イコンニコヴァ

去年11月に、北大名誉教授クドウ・マサヒロの、サハリンの印象をもとに書かれた本『チェーホフの山』が出版された。

現代の読者にとって教授は、アンナ・アフマートヴァ、ヴェリミール・フレーブニコフ、ボリース・パステルナークその他のロシア作家の翻訳者としてばかりでなく、サハリンを訪れて島の文化と歴史に惹かれた独特の詩人、作家として知られている。リリカルな物語中篇小説の形で書かれたこの新著は、その哲学的内容に特徴がある。サハリン人はチェーホフの精神的子孫だと著者はとらえている。本書の題名は、たんにユジノサハリンスクの地図上の知られた一点のみを言っているのではない。チェーホフの山とはメタファーであって、
これは日常の現実のうえにそびえて雲を志向する頂のことだ。

ちなみに、本書の表紙装幀には、出版社の企みによって、咲き誇る真紅のバラの花たちが描かれている。これもまた偶然とは言われない。
チェーホフは花々を愛した。ヤルタの作家のダーチャにはたくさんのバラの花がうわっていた。作家自身がそれらを植え、“庭”となづけたそのノートにはやく70種のバラの花があがっている。

この抒情的物語中編の主人公の運命には、教授自身の物語(ヒストリー)も読みとれる。彼は今日、意味に満たされた生について、そしてまたかつての自由を奪う肉体的な病について深く考察している。『チェーホフの山』のフィナーレのページは、人類の他の諸病気のうえにそびえる“コロナ”の時期に著者によって創造された。しかしクドウ教授にとっては、個人的な時の報告でもある。つまり、去年からこの作家の伴侶、彼の献身的な友にしてイタリア文学の翻訳者である知子夫人が治療もままならない難病とたたかっているのだ。それゆえに、本書の表紙の真紅のバラの花たちは、これはチェーホフが花に魅せられたということの符合にとどまらず、わたしたちの広大な世界に置けると同じように、個別の家族における、愛情のシンボルでもあるのだ。

本書『チェーホフの山』への書評はすでに定期刊行物にあらわれている。その一つ、青森県の新聞では詩人にして音楽家の鎌田紳爾が、指摘している。チェーホフのサハリン島への旅は、島の人々にとっての誇りである。全世界に知られているこの作家の心的態度と対比して自己たちを発見する方法であると。工藤正廣の『チェーホフの山』は、このロシア作家の遺産への愛情であり、かつまた、国外におけるロシアの高い文化イメージを反映した新しい芸術的な研究である。

(工藤正廣訳)

図 1899年、ヤルタの別荘にチェーホフが植えたバラの花、ローザ・バンクシアエ、lutea


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