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「春の問題」とは

編集部・伊藤

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ロシアの詩を読む』に取り上げられている「春の問題」というマヤコフスキーの詩のことを、私はこの岡林さんの訳とともにとても良いと思って自分の手帳に書き写したりしていたものの、「春の問題」とは一体何か、言葉で説明できる気はしていませんでしたので、この詩が好きなことを人に話す機会もあまりないまま過ごしてきました。いま、非常事態宣言が出るような世の中になっていざ春が来てみると、なんとなくひと段落というか、一仕事終えた感というか、終わった終わった、と口に出してみたくなる能天気な自分を発見します。「春の問題」とはこれのことだったのではないかと、ふと思った次第です。

他にも春が来ることについての詩や物語は世の中にたくさんありまして、未知谷の刊行物から真っ先に思い浮かぶのは、ジョン・ファンテの『バンディーニ家よ、春を待て』です。この物語の中で「春」がどのような役割を果たすかは、学生時代にセリーヌの『夜の果ての旅』の一番良い箇所を講壇で朗読した教授に、「あの長い話を読んでもいない奴らにここのことを教えるなんて!」と苦情を言って「あなた意外と心が狭いですね」と言われた私でありますから、ここでは控えることにいたします。春の気配が感じられるいまこそ最後の一行まで読んでいただきたい本であることは確かです。

春の問題————————————————————————————
ぼくはすごくつらい
このままだと 
     不眠症だ
だって
     じき
ロシアソビエト社会主義連邦共和国に
     春がくる
きょうも
    明日も
       太古の昔からだ
部屋がぐらぐら揺れるのは
          太陽を飲みすぎたせい
仕事になりゃしない
      完全に不安に取りつかれてる
ありていにいえば
        不安の種なんかない
まじめに考えれば
        どうってことはない
お日様が照る
      通り過ぎる
窓にへばりつく猫を
      引き離すのは無理な話
動物だって外を見たい だから
      僕ならなおさら
             それは
                必需品だ
表に出てみたものの
         だるくて
力が出ない
     体が前に出ない
全然
  まったく分からない
どうすればいいんだ
襟首に
   鼻に 堂々と 滴るしずく
耳をすまし
     ふりはらいもしない
   突然ひらめく詩行みたいだ
法的には
      どこに行こうと自由
でも実際は
     全然
       身動きできない
たとえば ぼくは
     いい詩人と思われている
たとえば
    ぼくは
       証明できる
「酒の密造は すごく悪いことだ」と
だけど これはどう?
         どうする?
ことばが本当にでてこない
たとえば
ソビエトの役人たちが町中に張りだした
春を歓迎しよう
       祝砲で歓迎しよう!
あいつらは忘れてしまったんだな
             しずくに対抗する術
ぼくも答えられない
      全然
        まったく!
突っ立って
       ぼうっと見てるだけ
見てるだけ
      掃除夫が氷を叩いてはがすのを
靴の下は水
     いたるところに水たまり
脇からしぶきが跳ね
          上からは流れ落ちる
何か対策を講じないと
どうすればいいのか
         たとえば
             日を選び
                 とびきりの青い日に
通りという通りで
        警官が笑顔で
みんなに
    この日
       オレンジを配る
高くつくというなら
         ちょっと安上がりで
                  もっと簡単なのもある
たとえば
    仕事のない
         年寄りや
             学校に行かない子どもが
毎日
  12時になると
        ソビエト広場に集まって
三唱する
     万歳!
       万歳!
         万歳!
だって ほかの問題はどれも
             多少は はっきりしてる
パンの問題も明確
        平和の問題も同じ
だけど この
      根本的な問題
            春の問題は
何がどうあろうと
        今すぐ何とか
              しなければ
              (ウラジーミル・マヤコフスキー、1923)
                (岡林茱萸『ロシアの詩を読む』p.118)

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