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私の部屋だけ・・・ これは感覚・認識による差異なのか?

 滞在時はホテルに宿泊してるのですが、何故か私の部屋だけ〇〇がないみたいな珍事件が7割ぐらいの確率で起こります…。「部屋大丈夫しでた?」が挨拶代わりになっていると言っても過言ではないかもしれません。

例えば、あるホテルで宿泊した時の話になりますが…

 夜、シャワーを浴びた後、部屋に備え付けられたバスタオルで体を拭こうと思ったら、明らかにサイズが小さいんです。ホテルの人が、アジア人だし小さいのでいっか〜みたいな感覚で置いてなかったのかな〜と、眠い目をこすりながら考察し、それしかタオルはないのでその日はそれを使いました。

 翌朝、「バスタオルなかったですよね?」と他のメンバーに尋ねると、2人から「ありましたよ!ベットの上に!」と返ってくる。
確かに私もベットの上にタオルはありましたけど、それが小さかったんです…。

 これはもしかしたら、感覚の違いで、彼らはその小さいタオルをバスタオルと捉えられたのかもしれないけれど、私はバスタオルには小さすぎると捉えたのかも。そういう感覚・認識の違いによって、私はよくハズレの部屋を引いているように見えるのかもしれない、とアンチテーゼを立ててみたこともあります。

 でもそのバスタオルのアンチテーゼには、破綻しているとことがあって、私より身体の大きい彼らがバスタオルと捉えれて、小さい私が捉えられないバスタオルとは何ぞや…と。彼らはこれまで、所謂フェイスタオルとか雑巾大のタオルをバスタオルとして使っていたのだろうか、と疑問が浮かんできちゃう訳です。その私のアンチテーゼに対する疑念の答えは、”絶対ない”なので、今回の一件については、感覚・認識の違いによって私の部屋だけバスタオルがなかったように思われる、とは言い切れないと思うのです。

 仮に、私の部屋だけ事案が、私と周囲との感覚・認識の違いによるものだったとしても、感覚・認識の違いの領域を超えるホテルステイがあったので、次回はそれについて書こうと思います。



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