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年末年始の 練習 のこと

木版画のこと。
浮世絵版画に魅せられて、美術館で繁々と眺めていた日々がありました。その技法について知ったときの驚きといったら、思い出すだにどきどきしてきます。そんな技法で、このような絵が、人間の手で、本当に作られるものなのか、不思議でたまらなくて、それで、自分の手で試してみたくなったのでした。

版画家の工房へ見学に行き、木版多色刷の作品が生まれる現場を見せてもらいました。弟子入りはしません。とにかくよく見て、それで自分でやってみようと、思ったのでした。やってみたら、図案も、彫るのも、刷るのも、思いの外難しいものでした。これは、大変。私は木版画に、たくさんの時間と労力を使えるだろうか、そのとき考えるまでもなく、もっと大切に思うものが浮かびました。それで、版画への興味を抑え年に一度、年賀状の木版画で遊ぶ道を選んだのでした。

それから着物のこと。
思えば一緒に暮らしていた祖母は、毎日着物ですごすひとでした。

絵本作家の飯野和好先生に、群馬でのよみがたりに来ていただいたあの日、その自然な着物姿にすっかり痺れてしまった私は、翌日から、夜な夜な着付けの本を見ては練習し始めました。

少し前まで日本のみんなが毎日着ていた服なのだから、自分で着られないはずはない。そんな勝手な信念から覚えた自己流の着付けを、忘れないように、ときどき着物を着たいのです。ところが着物を着ると、あらどうしたの?って、注目されてしまうのが恥ずかしくて不都合。お正月は唯一、着物でもあんまり不思議じゃない時期なのだから、その機会を逃したくなくて、毎年着物で過ごすのです。どこへも行かなくても、誰にも会わなくても、営業日でも。

木版画と着物、実はお正月を口実にした年に一度の練習なのでした。どちらも20年来のならいだというのに、どちらも毎年久しぶりなものだから、上達はのぞめないのです。毎回、襟元や帯の始末に悩んでは四苦八苦して何十分もかけてようやく着るのだし、図画工作の域を出ない小学生みたいな年賀状を、ちょっと恥ずかしいけど投函してしまうのです。

年末の図画工作とお正月のお着物、へたっぴぃなままながら、毎回楽しくて楽しみです。今年もそれができてよかった。どうしてもどちらも

できない年も、あったのだから。
つまりは無事に、年が越せたのでした。めでたし。

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