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紙吹雪になった手紙とならなかった最後の手紙。小松未歩さんの『Last Letter』

 2023年も12月となりました。
 今年もいろいろありましたね。
 この記事は小松未歩さんの曲で語り合うラジオ企画用に書いてますが、今月もやります。
 テーマは12月にちなんで『Last Letter』です。最後の最後に「紙吹雪舞う12月」とあります。時期的にぴったりなこの曲で語ります。

 さて…。みなさんはこの曲においてはどういうイメージをお持ちでしょうか?
 私は小松未歩さんの歌声と耳に入れた歌詞だけを頼りにイメージしている分には切なくて淡い雰囲気のストーリーを描いていたのですが、歌詞をまじまじと読んて改めて聴くと…。
 うーん…。なんだか複雑だと思うようになりました。
 この『Last Letter』は小松未歩さんの6枚目のアルバムに収録されています。後期といえる時期ですが、この頃になるとなんというか別れ話を綺麗にまとめるようなっている印象があります。
 同じ6thアルバムに入っている『私さがし』なんかがそうですね。
 曲の雰囲気も歌詞も綺麗ですが、主人公と相手の言動からしてそんなにキレイに別れられるものか?と首を傾げたくなる世界です。
 『Last Letter』にもどこかそんなテイストと言うか、歌詞の奥に隠しているなにかがあるように思えてならないんですよね、私には。そのあたりの隠れている何かを歌詞を頼りに妄想を絡めつつ解釈を進めていきます。

登場人物とその関係性

 この曲において出てくる人称代名詞はふたつ。「私」と「あなた」です。しかしこの二人以外にもう一人いると私は思っています。
 その人物を含めた三人が絡む『Last Letter』の世界。ではこの三人の関係がどういうものか。主人公の立場から表すと

 「あなた」は主人公の幼い一人息子(娘)
 人称のない人物は離婚した元夫

です。
 そして主人公がこの二人とまさに別々になるシーンから『Last Letter』が始まっている。そう考えてます。

歌詞で追う三人のストーリー

 ということで歌詞から話の展開を追っていきます。冒頭

 その次の角で 待っていて
 かならず迎えに行くとあなたに
 わざとおどけて笑った
 私を許さなくていい

これは離婚が決まり、元夫と子どもが自分のもとを離れ、そして子どもにとっては生まれ育った地を離れる最後の瞬間ではないかと思います。
 最後子どもに「あの角まで競争しようね。お母さんより先に着いたらそこで待っててね」と言いくるめて電車に乗せる。あっちに着いたら迎えに行くから、と。事情なんて知らない子どもの無邪気に走っていく後ろ姿を目に焼き付ける主人公。そして…。

 消えるように ここから居なくなれば…

と子どもとは逆方向にあえて人混みの中を縫うようにして歩き静かに去っていく。
 しかしそこから主人公の新たな迷いが生まれます。

逢えない自由選べば
むくわれると信じていた

これ、信じていたけど報われていませんね。
 ではこの主人公は何を信じていたのか。恐らくは「私の、そしてあなたの幸せ」ではないでしょうか。
 全くの妄想ですが、この主人公は結婚し子どもも産み、家族というものを手にしたものの自身の家族像あるいは母親像とあまりにも乖離している自分自身に失望し、結果離婚そして元夫に子どもを託す決意をした。先に挙げた

私を許さなくていい

という歌詞にはそういう意味があるのではないかとも思います。
 とにかく、元夫に託せばあの子にとっては幸せだし「私」もこれ以上自身の抱く理想の母親像とのギャップに苦しまなくて済む。それで自分も子どもも新たな形の幸せを持てるのではないか。それで離婚という重大な決断が報われる。そう思ったものの…。
 子どもを手放したあの日から彷徨い、歩いたけど、報われたとは思えていない。
 そういう背景があるのではないでしょうか。

逢えない自由

逢わない自由ではなく「逢えない自由」。
 少し不思議な表現です。
 自分が逢いたいと思っても逢えない、という選択を「自由」と表現するとしたらそれは、逢いたいと思いつつ子どもの姿を目にしないことで楽になれる自分がいるからかな、と思ったりしますがどうでしょうか。
 一番の歌詞の解釈はこういった感じです。
 では二番はどうでしょうか。

短く切った髪にも 慣れた頃
宛名だけが書かれた 手紙が来た
涙が邪魔して進めない
あなたがくれた最後の手紙は
癖のある文字が揺れる
あの日は もう帰らない

あの日からどれくらいの時間が流れたのでしょうか。

 ママへ

元夫からの封書に同封された、宛名だけが書かれた子どもからの手紙。
 一文字追うごとに忘れたくても忘れられない、家族として過ごしたあの日が蘇って涙が止まらない。手放したものの大きさが身にしみます。

ありきたりな言葉で綴る
短い手紙を胸に抱いて
やっぱり 相応しいのは
私じゃないと分かった

ここに関してはちょっとトリッキーですが、ありきたりな言葉で綴る短い手紙、とは元夫が書いたものです。それに加えて子どもの手紙を見て二人の幸せな様子を感じ取り、自分は親として相応しくなかった、と思ってしまったのではないでしょうか。

思い出のベンチに腰かけ
褪せた手紙を 小さく破いた
これが すべての結末
紙吹雪舞う12月

三人で遊んだ公園。そんな思い出のあるベンチに褪せた手紙を手に腰掛ける。
 実はあと少ししたら主人公もこの地を離れることになっていて、そのことは元夫、子どもには知らせていない。
 元夫の連絡先も全て消してしまっているなかで唯一残してあったのが元夫の住所が書かれた封筒と短い手紙。
 最後の繋がりであるその手紙を、封筒を細かく破り冬の冷たい風に乗せて運ばせる。
 これで「私」の中で家族が、終った。
 これが家族としての最後の結末。12月のことでした…。

補足として

 最後に関してですが、私は「その手紙を、封筒を細かく破り」と書きました。実はここでは元夫の短い手紙と封筒は破っているものの、子どもからの手紙は破らずにずっとそのまま持っていると思っています。元夫に転居先を教えないことでもう手紙が来ないようにしてることで、今ある手紙を「Last Letter」にしているわけですから性格が悪いこの私でも妄想といえども流石にこれは破れませんでした。
 あと、主人公に言いたいことがあります。

 事情はどうあれゴミはちゃんと捨てて下さい!

これが私の結末です。

終わりに

 今回は歌詞解釈というよりも歌詞妄想になりました。個人的な感覚でいうとこの曲に関しては歌詞と歌詞を直線で結べず、妄想で補うしかなかったという感じです。
 なので歌詞解釈を展開するうえではかなり苦手な部類の歌詞でした。
 正直言いまして自分で非道い解釈だと思っています。なので共感が得られないのは勿論面白くない感情を抱かれる方もいらっしゃったかもしれませんが、ご容赦頂けると助かります。
 と、いうことで花の砂時計的『Last Letter』でした。また次回お会いしましょう。

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