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地獄で仏

年が明けて、正月モードのところ
地震や事故の報道ばかり。

何を出来るわけでもなく、
今はテレビを見て祈るしかない。
倒壊した神社のニュースを見ていた家族から
こんな言葉が。
「神も仏も助けてはくれないね」と。
なんか、すごく寂しかった。

そりゃこの状況を見れば…
そんなふうに思っても無理はない。
無理はないけど、きっとそうじゃない。

もうどうしようもない、巻き戻すことも
抑えることも、無かったことにも出来ない。
もう祈ることのほか、なにも出来ない。

そこにこそ、
神や仏の救いが感じられるんじゃないかなぁ?
自分の中では静かに納得したけど、
それを口には出来なかった。
そんな深刻な意味で
言った言葉でもないんだろうし…
救いがない、と口にだして言うことで
救われてるところもあるんだろうし。
そもそも、うまく伝えられる自信も無かった。

だけど、すごく普通に、何気なく
そんなふうに感じたのは
なんだか嬉しくて、ほっと落ち着いた。

もう、どうすることも出来ないときに
たったひとつ残る、出来ること。
なんにもなくなったようなところにも、
すべて失ったように思えるところにも、
もとからずーっとあるもの。

何も出来ないけど、祈ることは出来る。
何も出来ないからこそ、祈ることが出来る。
ずっとあって、最後まである。不生不滅。

今私は、安全で暖かい家の中にいるから、
こんなことを言ってられるのかもしれない。
実際、それどころじゃないんだろう…
でも逆に、だからこそ私たちが
正気を失ってちゃいけないじゃん、と思う。

出来ることは少ない。だからこそ、
出来ることをちゃんとやらなきゃいかん。









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