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スローの実践 ~Decency(良識)に立ち返る~

 昨年暮れくらいから、スロー(Slow、ゆっくり)の実践を始めました。日々の生活において、時間の使い方や消費のリズムをスローに、敢えて「不便・不自由」にしていくことです。自分の中で明確な定義があるわけではないですが、昨今のスローライフやスロームーブメントにも通ずる部分があると思っています。

 たとえば読書でのスローの実践についてです。これまでは、気になった本があればオンラインショップのアプリでポチッと1クリックで注文して、翌日に配達され、そして半分くらいは積読になったままで、月数万円の出費となることもよくありました。これをポチっとする代わりに、図書館で本を借りようにしました。図書館で借りるとなると、当然、近隣の図書館まで開館時間内に行かなければならず、オンラインショップのようなファスト(Fast、はやい、即配達)やいつでもどこでもの利便性はありません。人気の書籍なら、予約で1か月以上待つこともありますし、同時に借りれるのも10冊までと決まっていて、ネットショップに慣れてしまった身からはまさに「不便・不自由」です。ただ図書館の蔵書は豊富で、自分が探していた書籍のうち、95%くらいはストックされています。新書だったり、蔵書にないもので、どうしても読みたいと思うものは本屋やネットで無理せずに買っています。また自分の利用している図書館は便利で、ネットで貸出順番待ちの予約や蔵書の確認等ができます。
 図書館を中心に書籍を入手することで、積読が減り(罪悪感も減り)、試読的に借りて読む読まないの初期選択も金銭的な負担もなくでき、予約待ちや貸出冊数制限といった「不便・不自由」と思われた制約のおかげで、一定期間の読書量が多すぎず少なすぎずで読書のリズムも整います。節約にもなります。また、図書館のような公共財・サービスは、「商品」や私的財ではないので、誰もが利用できるのも万人にとって利点だと思います。


 読書の他には、時事情報の取得もスローにしてみました。端的に言えば、新聞回帰です。年末年始にかけて、主だった新聞5紙を1週間試読し、これまで購読していた新聞にもう1紙購読紙を追加しました。速報(Fastness)はインターネット記事に劣りますが、プロの編集校閲が効いた質の高い文章を読むことができます。また取得情報の選好や偏りをなくすうえでも、世間一般の関心を理解するうえでも、新聞の一定の網羅性は有用だと思います。どうしてもネット検索時にGoogleアカウントなどにログインしたままだと、過去の自分の検索履歴から検索結果が影響を受けてしまったり、Facebookで似た者同士の友人がシェアした記事を読んでばかりいると、取得情報に偏りができてしまうように思います。
 オンラインショッピングでの消費も抑えるようにしました。たとえば、Amazonの注文は月末の一回に集約させ、それまでに何度も「本当にこれは必要か?」と逡巡し、ショッピングカートの中身を入れ替えたりして、本当に必要なものだけを選び残すようにしています。オンラインでの消費のリズムをスローに丁寧にしていく一環です。
 時間の浪費につながるスマホアプリも削除し、家族の団欒空間には本、PC、iPadなどの類も持ち込まないように努めています(ケータイは急ぎの連絡もあるから携帯しています)
 スロー(Slow、ゆっくり)の実践を始めてまだ日は浅いですが、心も、時間も、財布もゆとりができてきているような気がします。日々の生活や時間の使い方や消費行動を人間(自分自身)の処理能力や身の丈にあったように節度を保つようにしていきたいと思います。


 スローにして、生活も早起きにして、先日ゆっくりした時間の中で新聞をめくっていたら、バイデン大統領のスピーチ(全文)が目にとまりました。ネットニュースで遭遇していたら、ざっと目を素早く(Fastに)通すくらいだったでしょうが、新聞購読ならではでゆったり(Slowに)と目を通すことができました。せっかくなので音読もしてみました。
 たくさんの良い言葉が散りばめられているスピーチで、シンプルですが以下の一節が気に入りました。

Let's begin to listen to one another again, hear one another, see one another. Show respect to one another.
お互いの言うことをまた聴くようにしましょう。お互いを聴いて、お互いを見るようにしましょう。お互いを尊重するようにしましょう。
==(中略)==
We can do this (end this uncivil war) if we open our souls instead of hardening our hearts, if we show a little tolerance and humility, and if we're willing to stand in the other person's shoes, as my mom would say. Just for a moment, stand in their shoes.
自分の心をこわばらせるのではなく、自分の魂を開けば、それは可能です。少し寛容になり、少し謙虚になれば。そして、私の母がよく言ったように、他人の靴を履くように他人の立場になってみれば。一瞬でも、相手の立場になってみてください。
(出典:BBC "Full transcript of Joe Biden's inauguration speech" (English / 日本語))

 対話や他者理解の重要性を示唆するような当たり前のことなのですが、この当たり前が今後の社会、経済、政治の在り方を考えていくうえで、大事なのではないかと思っています。上記の一節からは離れますが、スピーチの終盤は以下の一節で締めくくりを迎えます(太字は筆者)。

And together we will write an American story of hope, not fear. Of unity not division, of light not darkness. A story of** decency** and dignity, love and healing, greatness and goodness.
そしてみんな一緒に、アメリカの物語を書きましょう。恐怖ではなく希望の物語を。分断ではなく結束、暗闇ではなく光の物語を。品性と尊厳、愛と癒やし、偉大で善良な物語を。
(出典:BBC 同上記事)

 太字でハイライトした、decency(訳者により、良識、品性、節度など)がバイデン氏の方向性を理解するうえでのキーワードで、これから世界が目指していく方向性のように私自身も思っています。「decency」の訳語は難しいのですが、私なら、良識、分別(ふんべつ)くらいに訳します。形容詞形の「decent」はILOの21世紀の実現目標である「Decent Work」に使用され、日本語では「働きがいのある人間らしい仕事」という意訳があてられています。少し解釈に飛躍がありますが、「decency」にも人間性への回帰や、パウロ・フレイレ(Paulo Freire)氏が『被抑圧者の教育学』で提唱したようなHumanizationに通じるものがあるように思います。
 スピーチライターとして演説の起草をしたのがインド系移民の子どもということも象徴的なように思います。私自身も日系移民にルーツがあり、前職の国際機関で副事務局長のスピーチライターを一時期見習い的に務めていたこともあり、起草者の構成力に感動し、実体験からも内容に大いに賛同するところです。
 私自身の実体験でいえば、国際機関など多様性のある職場環境で働いたときのことで、常に気に留めていたことがあります。「自分の常識を当てはめない(see their rationale behind)」ということです。ものの見方・考え方は、どこで生まれどんな人と会いどんなものに触れてきたかに大きく影響を受けます。意見が対立しそうな時も彼/彼女の理論的根拠(their rationales)に耳を傾け、相手の論理にも敬意を示すことが大事だと考えます。人間は等しく理性的で、なぜその考えを持つに至ったか背景を考えること、対話や他者の合理性の理解に努めることが大事だと思っています(それでも分かり合えない場合ももちろんあります)。


 ひるがえって、私が日々の生活を適度にスロー(Slow、ゆっくり)に、そして丁寧に調整しようと試みようとするのも、資本主義的な生産様式の結果生み出される利便性とそれに伴う目まぐるしさから少し距離をとって、a sense of decency(良識や分別)を取り戻したいと根底で感じているからかもしれません。
 資本主義的な生産様式が生み出す利便性や速さ(Fast)は確かに魅力的だし、自分自身もたくさん恩恵を受けてきたし、これからも受け続けると思います。スタートアップが指数関数的な成長仮説のもとに膨大な資本(capital)を惹きつけ、それをもってFastにScalableに便利な財やサービスを開発・提供することにももちろん意味があると思っています。リモートワークで欠かせなくなったWeb会議システムも、製薬会社の開発したコロナワクチンも、ひいてはいまや生活必需品となったパソコン、スマホ、インターネット環境の爆発的普及・供給も資本主義システムがあればこそだと思っています。手紙の時代には戻れないと感じています。
 一方で、資本主義は人間の欲望を過度に引き出し、人間のdecency(節度)を失わせ、資本(capital)は生産過程で自然、労働(人間)に負荷を強いていて、帰結として環境破壊や過労死、ひいては格差の固定につながっているように思います。
 このような資本主義の矛盾が吹き出しきて、ポスト資本主義的な議論が昨今盛んだけれども、かたや別のシステムに移行したところで、人間自身がDecency(良識、節度、品位)を保たないと、別の姿をして同じような問題が現れてくるだけのようにも感じています。
 つまるところ、資本主義経済の良い側面や意義を再定義するにしろ、脱成長につながるような社会的連帯経済のようなシステムを志向するにしろ、人間自身とその営みがDecencyを保つことが重要なのではないかと思います。それを日々の生活から身につけていくのが、スローの実践になるのかなと理解しています。その一方でスローかファストかの選択ができること自体も恵まれていて、スローかファストいずれかの選択肢しか持てない人がいることも事実だと思います。

当面の研究テーマを以下のように設定していましたが、「decency」(太字)も付け加えないといけないかもしれないと気づかされました。
Human-centred Approach: Small is beautiful. Big is responsible. Its combination is sustainable. And people’s decency matters.


以上

写真)近所のコーヒー店(SHIBA COFFEE)にて、図書館で借りた本を読みながら。

追記)就任演説で以下の箇所も素敵だなと思いました。終始、Unity(結束)に重きが置かれていました。

Many centuries ago, St Augustine - the saint of my church - wrote that a people was a multitude defined by the common objects of their love. Defined by the common objects of their love. What are the common objects we as Americans love, that define us as Americans? I think we know. Opportunity, security, liberty, dignity, respect, honour, and yes, the truth.
何世紀も前に、私が通う教会の聖人、聖アウグスティヌスはこう書きました。人の集団というのは、共通した愛情の対象によって定義されると。では、私たちをアメリカ人と定義する、共通の愛情の対象はなんでしょう? 答えはお分かりだと思います。機会。安全。自由。尊厳。尊敬。名誉。そして、そう、真実です。
(出典:BBC 同上記事)


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