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ブリタニー・スパニエル犬を語る②記者として生きたチェリー

走れ犬記者!

 フランス原産のブリタニー・スパニエルは、優秀な鳥猟犬として知られる。山や水辺で獲物を追い出し、ご主人が撃ち落としたところを回収するのが仕事だ。しかし、私が14年間生活をともにしたチェリーは、中日新聞の地方版で計125回もの連載を続けた「犬記者」だった。岐阜、長野、滋賀の3県をわたり歩き、さまざまな取材先を訪ねたチェリー。多くの人たちに愛された彼女の一生は、ブリタニーが社交性に富んで愛情深く、家庭犬の素質も十分に備えていることを証明している。


記事を書くチェリー。友達の猫が見ている

 チェリーは2007年春、岐阜県関市の中日新聞関支局にやって来た。生まれたのは三重県津市。日米ハーフの米系ブリタニーだった。白と茶色の毛並みが美しく、大きな目をしている。子犬のころから人懐こく、支局の人間記者ともすぐ仲良くなった。
   関支局では前年の春から「走れ犬記者」と題した連載を始め、私の相棒だったアニーが中濃版に執筆していた。チェリーは見習い記者として入社し、支局で生活。2007年秋、アニーが13歳9カ月でこの世を去ると、その仕事を引き継いだ。
 連載「走れ犬記者」は、動物と人間をめぐる話題を取り上げた。取材対象は盲導犬、警察犬、聴導犬といった人間のために働く使役犬はじめ、ペットショップや動物病院、狩猟現場までさまざま。長野県の山奥で暮らす木曽馬と老夫婦や、滋賀県で活躍した「猫市長」、航空自衛隊の基地を守る警備犬も登場した。
 すべての記事は、犬記者の一人称で書かれていた。
 かなり風変わりな企画だったが、読者の評判は良かった。記事が出る度、犬記者あての手紙が届き、反響があった。

連載記事で使った犬記者のワッペン


 「一人暮らしのおばあさんが、老人ホームに入ることが決まり、長年かわいがってきた愛猫と別れなければならない。施設では猫を飼うことが許されないから困っている」
 岐阜県大垣市を舞台にした記事が出た日、中日新聞大垣支局には朝から何本もの電話が入った。幸い、優しい女性が猫の面倒をみることになり、おばあさんは住み慣れた家を出て老人ホームに移った。チェリーは数か月後、この施設を訪れ、おばあさんに会った。
 「雨が降った夜、私の猫が老人ホームの部屋に来る夢を見たの。あんた、遠くからよく歩いたねぇと言ったら、目が覚めてしまった」
 おばあちゃんは、新しい家にいる猫の写真を見ながら、ぽろぽろ涙をこぼして泣いた……。
 「走れ犬記者」は、そんなふうな連載だった。
 


コリーのコンテストを取材したチェリー。ちょっとびびっている

 チェリーの取材力は抜群で、どこにでも飛び込んだ。学校、幼稚園、福祉施設、農園、イベント会場と、数え上げればきりがない。
 チェリーは生まれつき愛嬌があり、まったく人見知りしない。短いしっぽを振りながら取材に入ると、だれもが「かわいいねぇ」と笑顔になった。
 ある保育園では、50人を超える子どもたちに囲まれ、アイドルのようにもみくちゃにされた。それでも、チェリーは嫌がる様子もなく、子どもたちの好きにさせている。子犬のころからみんなに大切にされたためだろう。人間が大好きな犬だった。
 

ポインターのブリーダーを取材。犬よりも人間が好きだった。

猟犬としての横顔

 チェリーは犬記者の仕事だけでなく、本業の狩猟にも出た。キジ猟とカモ猟が得意で、猟場に出ると顔つきが変わった。
 1時間足らずで2羽のキジを仕留めたり、川に落ちたカモを500メートル以上追いかけて回収したこともある。足が速く、動きに無駄がない。猟場を走る姿は、美しかった。獲物を運ぶ時には、得意そうな顔をしていた。

川から回収したカモを運ぶ。顔つきが違う

 しかし、チェリーには困った悪癖があった。猟に夢中になると、私を置いてどこまでも走ってしまうのである。
 鳥猟で使う散弾銃の有効射程は、せいぜい60メートルだ。それなのに、チェリーは300メートル離れた場所で獲物を追い出す。時には捜索にのめりこみ、何時間も帰ってこなかった。
 こんな猟犬は「セルフハンティング犬」と呼ばれ、猟師に嫌われる。
 飯田市では真冬の朝、山に入ったきり行方不明になり、迷子ポスターを町のあちこちに張る騒ぎになった。
 さんざん雪山を探し回っても見つからない。あきらめかけた3日目の夜、やっと再会した時には、うれしくて涙が出た。当のチェリーは「なんで私を迷子にさせた」と逆ギレし、1週間もふてくされていたが……。

無事に帰還したチェリー。迷子ポスターを前に目が三角

米系ブリタニーと仏系ブリタニー

 私はこれまで、4頭のブリタニーを狩猟で使役した。初代と2代目が仏系、3代目のチェリーが米系、現在の4代目マイヤーが仏系である。
 同じ犬種ながら、両者は明らかに違っている。仏系ブリタニーが主人から離れずに猟をするのに比べ、米系は捜索範囲(レンジ)が広く、連絡が取りにくくなる傾向があるのだ。
 マイヤーは猟場に出ると、常に私から50メートルほどの距離を保ち、散弾銃の弾が届く範囲で捜索する。林道など見通しが悪い場所だと、こまめに私のところまで戻り、また走り始める。要するに、主人の動きに合わせて行動できるのである。
 米系ブリタニーは広範囲を捜索するものの、実猟では使いづらい固体が目立つ。米系を使役した猟師からはよく「山の奥で獲物が出る。これでは撃てない」という嘆きの声が聞かれる。

私と山に入ったチェリー。とても楽しそう。

チェリーはヤンキー娘?

 自分勝手で主人から離れがちになるというチェリーの性格は、一生なおらなかった。河川敷や野原といった広い猟場ならまだ何とかなるが、ヤマドリ猟で入る山奥では2度と会えなくなる危険がある。
 チェリーが最後に生活した岐阜県郡上市は山間部にあり、険しい福井県境の山々が広がっていた。グループでシカ、イノシシを追う大物猟が中心となる中で、鳥猟犬の出番は限られていた。
 それでも、チェリーは私が猟銃を持ち出すと「私も連れていって!」と、そばを離れない。仕方なく、単独のシカ猟に切り替え、リードにつないで山を登った。底冷えのする山中で、じっとシカが動くのを待つ。私は今も、体を寄せあったチェリーのぬくもりを忘れない。
 活発で陽気、自立心に富んだ米系ブリタニーの性質は、やはり広大なアメリカの大地が育んだのだと思う。もし、チェリーがアメリカで生まれていたら、馬に乗った主人と自由自在に猟ができたかもしれない。
 私の妻はチェリーのことを「ヤンキー娘」と呼んでいた。仏系ブリタニーはあくまでも主人に従い、慎重で確実な狩りをする「職人」のような持ち味がある。日本の猟場にどちらの系統のブリタニーが合うかといえば、やはり仏系だろう。


渓流で体を冷やす。夏の日の一場面。

家庭犬としてのブリタニー

 日本の本州で鳥猟ができるのは、11月15日から翌年2月15日にかけての猟期に限定される。それ以外の長い時間、鳥猟犬は主人や家族とともに家で過ごすことになる。
 ブリタニーが室内飼いの家庭犬になれるかと聞かれれば、私は条件付きで「yes」と答える。この犬種は聡明で温厚だし、どんな環境にも適応する能力があるからだ。
 

家でくつろぐチェリー。夜は一緒のベッドで眠った

 ただし、ブリタニーは普通のペット犬に比べ、けた違いの運動量が必要になる。朝夕、最短でも1時間は外に連れ出し、思い切り走らせなければならない。そして、持って生まれた猟欲を満たすため、野山で獲物を追わせることも求められる。
 ブリタニーをトイプードルやチワワといった室内犬と同様に扱うのは、最初から不可能である。運動不足は即、問題行動につながり、度を超したいたずらや無駄吠えを引き起こす。もしも、飼い主がコントロールできないまま悪化したら、危険極まりない状況になる。
 私が現在使役しているマイヤーは、山奥の林道を主な運動の場にしている。時間がなくて山に入れない時は、自転車につないで全力疾走させている。十分な運動さえできれば、家でおとなしくしている。
 一度、散歩なしで留守番させたら、家の中はごみ箱の中身が散乱し、台所の鍋の料理が食べつくされるという大惨事になった。
 ブリタニーは、飼い主と外に出ることが生きがいなのだ。狩猟をしていなくても、アウトドア愛好家なら愛犬を自然の中に連れていける。要は、犬のためにどれだけの時間を使い、ともに運動できるかが問われる。ただ、かわいいというだけで、安易に飼育できる犬種ではない。

年賀状の写真撮影で、猟師のコスプレをしたチェリー。いつも野山を走った

忘れられない面影

 犬記者、猟犬として活躍し、良き家庭犬でもあったチェリーは2021年夏、14歳4カ月で死んだ。
 別れの時、チェリーは最後の力を振り絞って私の顔を見上げ、腕の中で静かに旅立った。あんなに悲しかった日はない。4代目のマイヤーが家に来るまで、私と妻はペットロスのどん底だった。
 チェリーは私たちにとって、子どものような大切な存在だった。息子が結婚した時はお祝いの宴会で「犬浄瑠璃」を披露し、チェリーが「傾城阿波の鳴門」の巡礼を演じた。
  彼女にとっては相当に迷惑な仕事だったろう。きっと「私はあんたらの着せ替え人形じゃないぞ」と怒っていたに違いない。
 

犬浄瑠璃の舞台。ぬいぐるみが相手だった


舞台衣装のチェリー。迷惑そうな顔をしている

 それでも私は、チェリーと過ごした楽しい夜を思い出す度、幸せな気持ちになる。急ごしらえの舞台で、チェリーは堂々と演じ、大きな拍手と歓声に包まれていた。私は彼女が主役になれたことが、何よりもうれしかった。
 「犬は人間の最良の友」と言われる。
 ブリタニー・スパニエル犬は、私を自然の中に連れ出し、多くの人たちと出会わせてくれた。もしも4頭の愛犬がいなかったら、人生はどんなに味気ないものだろう。私にとっては、ブリタニーこそが最愛の伴侶である。もちろん、妻は別格ですが。

海辺のチェリー。私を見つめて、笑っている。


 







 























 



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