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縁がない

子どもの頃、同級生が自宅の庭で咲いた花を学校へ持っていき、教室に飾ってもらうことがあった。なんの花だったか、よく覚えていない。バラやチューリップだった気がする。

お花を持ってきて「お母さんからです」と先生に渡し、先生から「ありがとう」と言われている友だちが、とてもうらやましかった。

というのは、わが家の庭には、持っていけるような花がなかったからだ。

ひとつだけ、なんとかなりそうなのは、あじさいだった。梅雨のある日、私は母に頼んで何本かをきってもらった。包装紙に包んで意気揚々と登校、あじさいはしばらくの間、教室を彩った。私はとても満足した。

植物や動物を育てるのは、得意じゃない。一人暮らしをはじめ、鉢植えや切花を何度も買ってみたが、結果は惨憺たるものだった。枯れた花、腐った水は、ひどくにおう。むしろ、そこに植物の生命力を感じた。「ちゃんと育てられないのなら、飾らないで」。そんな声が聞こえて、私は花を買わなくなった。

昨秋、伯母が亡くなった。祭壇の花をみなが人数分に分け始めたとき、正直、こまったなと思った。私はこの花をもらうと、枯らしてしまうに決まっている。なんとか、もらわずに済む方法はないだろうか……。が、そんな申し訳ないことも言えず、ありがたくいただいて帰宅した。

結果から言うと、この花たちは、ずいぶん長く生き生きと咲いた。カサブランカがたくさん入っていたこともあり、むせるようなその香りが生命力を部屋中にふりまいた。毎日、水をかえ、水切りをし、しおれたものは容赦なく捨てる。

花を飾るとは、こういうことだったのか。お花とのつきあい方が少しわかった気がした。

ステイホームに便乗してか、「お花のサブスク」が増えたようだ。今なら、大事にできるかもしれない。しかし、残念ながら、わが家には花を飾る雰囲気がないのだ。片づけも掃除もおろそかなこの部屋では、飾られる花が気の毒である。

結局、花には縁がないのだろう。外出した折に、よそ様が丹精こめて育てた花を眺めることで十分満足している。

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