日本国民は、事実上、不自由人ではないか

日本国民は、事実上、不自由人ではないか。

自由に発言したり、行動したりすることができないでいるようである。

天皇制を批判することを自主規制する、菊タブーがその最たるものであろう。

日本国民は、支配されていて、自由ではないと思う。何に支配されているのかというと、それはおそらく、空気である。雰囲気である。

これをしたら批判されるのではないか、という自主規制が、個人の自由な活動の妨げになっていると思う。

私は、自分の支配者は私自身だと思っている。私は、私の思う通りに発言するし、行動もする。私は、なにものにも支配されない。

私は、象徴天皇制には反対である。人間は全員、平等であるべきだと思う。日本国内に、天皇、皇族、国民という身分差別があるのは問題だと思う。天皇家に生まれた人だけが優遇される門地差別には反対である。だから、日本国憲法を改正して、日本共和国憲法を打ち立て、象徴天皇制を廃止するべきだと思う。

私は、人間は全員、自由であるべきだと思う。好きなことをして、好きな仕事をして、好きなものを食べて、好きなものを着て、好きなところに住めばよいと思う。

私は、自由に生きたいと思っている。あなたはどうだろうか?あなたは自由に生きたいだろうか?

それとも、奴隷のように労働につながれて、惨めな一生を過ごしたいだろうか?言いたいことも言えず、やりたいこともできずに、不自由なままで暮らしたいだろうか?

私は自由を獲得する。

私は、菊タブーを無視して、公然と象徴天皇制廃止を訴える。

社会人の大多数が菊タブーによって抑圧されていると、日本国憲法を改正して、象徴天皇制を廃止することが困難になる。誰かが、菊タブーを打破しなくてはならない。それをやるのが私である。

菊タブーを侵すと、右翼が怖いという人もいるだろう。しかし、恐れてはならない。右翼の狙いは、恐怖支配である。菊タブーを侵す人に対して、攻撃を仕掛けることを予期させて、菊タブーを侵させないようにしているのである。

象徴天皇制を廃止しようというのだから、右翼など恐れている場合ではない。

日本国民は、恐怖によって支配されている。これではいけない。

自由を手にするのだ。

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