自己紹介的な
新潟生まれ福島育ち。
商社に勤めるごくごく普通の会社員です。
大阪ー仙台ー福島ー東京ー高崎(2024年1月現在)と異動を重ね今に至ります。現在は仙台に自宅があり、もっか単身赴任中。
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ポートレート用
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写真との出会い
タイトル上にある写真は私の子供達3人。
撮影当時は2015年位(長女が6歳)でしたでしょうか。
写真を始めたきっかけを作ってくれたのが一番左の長女。
長女の誕生を機に、子供の成長をカメラで残していこうと思いました。一眼レフで記録していったらキレイに撮れるんじゃ無い?っていうただそれだけの理由で始めたのが一眼レフデビューのきっかけでした。
しかし最初は当然ながら上手く撮れなかったですね・・・(当然ですが)
一眼レフ使っているのに、コンパクトデジカメのほうがちゃんと写ってくれると思ってました。一眼はピンぼけ量産。
飽きっぽい正確なので、すぐに上達を諦めて1年近く、押し入れにそっとしまっていました。
震災
2011年3月11日
震災がありました。
当時仙台に住んでいた私は、被災者として色々と配慮を頂きながら過ごしてておりましたが、その中に高速道路の無償措置がありました。高速でどこまで行っても無料なら、せっかくだから鈴鹿サーキットにも行ってみようかなと思ったのをきっかけに、また一眼レフで写真を撮ることを再開し始めたのであります。
まずは宮城にいるので近くのスポーツランドSUGOへ行って、とりあえずひたすら撮りまくってました。
ひたすら練習を重ねるも、上達しなかったです。そしてその理由は機材のせいにしだしてからというもの、そこから所謂「沼」に嵌っていったわけであります。(今までいくら使ったのか知るのが怖いので計算したことありません)
SENDAI光のページェント
子供や車のみならず、好きで色んなものを撮りまくっていましたが、一番好きなのはイルミネーションと花火撮影でしょうか。中でも2014年に撮影したSENDAI光のページェントで撮影した写真をコンテストに応募したら、ありがたいことにグランプリを頂戴しまして、そこから更にのめり込むことになったわけであります。
このころが一番パッションを感じて写真を撮っていたように思います。
2022年:再起
2014年からサーキットのオフィシャルカメラマンをさせていただいておりますが、東京へ転勤してからは撮影回数も激減してしまい、また昨今の流行り病の影響でしばらく車の撮影頻度が少なかったのですが、今年から徐々に以前の状況に戻りつつあるため、またぼちぼちモータースポーツ撮影頑張ろうかなと思っております。
2022年は富士スピードウェイで行われた世界耐久選手権(WEC)にも初めて行けたし、鈴鹿でのF1も3年ぶりに開催され、私の錆びた腕もそろそろまた磨いていきたいと思っている今日このごろです。
ご覧の通り、文才の無さを露呈している自己紹介ですが、朝のコメダ珈琲店にて頑張って書いてみました笑 適当に更新していきますので、たまに覗いてみていただければ幸いです。
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