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日々2./執筆がはじまる


ミチムラです。


昨年の12月10日に太宰治賞の締め切りを終え、それから小説というものをまったく書いていない状態でした。なんなら今年は小説を書かないくらいの気持ちでいたわけですが。


執筆がはじまった。


正確にはプロットやシーンの一部などを書いている状態です。

僕は基本的にプロットなどまったく組まずに行きあたりばったりで文章を書いて物語を展開していくのですが、今回はプロットを完全に組んでから執筆したいとおもっています。

やり方っていろいろあるとおもうんですが、ひとって自分の型ができあがるとそれがもっとも正しいやり方だとおもいこんで、そこからあたらしいやり方を取り入れなくなりがちじゃないですか。

そういうのってよくないなとおもうし、これまでのやり方で一応いくつかの選考を通過してはいるんですけれど、毎回きちんとコンセプトや決まりを設けて執筆しないと成長はないとおもっています。


で、今回書くのが1年まえくらいからあたためていたテーマ。1年まえの自分ではぜったいにうまく書けないとおもっていままで着手してこなかったのですが、2019年に3つ小説賞で選考通過をすることができ、小説の書き方や自分なりの方法論がある程度できあがった感覚があらわれてきたので、ここらで挑戦したいです。

ただ、そのテーマがけっこう資料読みなどしたほうがよさそうなので、それがネックです、資料読みとかまともにしたことがない、、

あとはプロットなんかも組んだことがないし、当然それにそって文章を書いたこともないから、それが自分にとってたのしいのかどうかもわからないことが不安。

だってプロット組んじゃったら物語の最初から最後までわかっているってことじゃないですか。定まった物語を書くのって退屈にならないのかなっていつもおもう。書いているうちに多少の変更はあるにせよ。

書きながらかんがえて、かんがえては書いていく作業はなかなかに苦痛なんですが、さきがちょっとずつ見えていく感覚がすきなんですよね。まあ書きながらずっと不安なんですけど。

それにプロットが組めるほど器用でないこともおおきい。やりながらでないと、自分の書きたいことすら見えてこないくらいなんで。

でも自分のしたことがないこと、できないことを取り入れていかないと、ほんとに先がないともおもっていて。中途半端に選考にとおるのは、決して才能がないわけではないかわりに、自分のレベルの人間がまだたくさんいるというわけで、そのひとたちに先を越されるのはなんかいやだ。

文章というのは、だた生きているだけでは上達しない。なんでもそうかもしれないけれど。さいわい文章を書くのがすきでよかった。すきなことしかできない人間だから。


ミチムラチヒロ

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