「中途半場」という言葉の呪縛

以前noteに書いた
「中途半場はダメですか?」の続きになります

良かったら
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高校生の私

当時バドミントン部に所属していた
弱小チーム、団体戦には部員が足りない状態

いま振り返ってみると
高校2年生の私が良く頑張っていたなと
認めてあげたい

女子部員3人
2年生の私、そして経験者の1年生1人、初心者1人
もう1人いたが不登校になり自然と辞めていった

顧問の先生が大病を患い
運動部では部活三昧のはずの
夏休みに顧問不在という中での活動

体育間の隣で活動している
バスケ部、バレー部は部員がたくさんいた

練習はきつそうだけど楽しそうだった

当時の私には
部活が楽しいという記憶や思い出はない

他の先生にも相談できず
ただ一人頑張るという選択肢しかなかった

後輩はやる気がない
(いま思えば私がやる気がなかった)
後輩はついてこない
(私が楽しくないのだからついてくるはずがない)
その当時できることはすべてやった
(と今なら認めてあげられる)

毎日学校の体育館へ通い
目的もなく決められたことを練習する毎日

精神的にも限界だった

言えなかった顧問への言葉

それでも夏は乗り切った

私がひとりで頑張れたのは
「夏休みが終わり療養したら部活をみる」
という言葉

その言葉を信じて頑張ることができた

でも夏が終わっても顧問は来なかった

理科室にいる先生に
「部活に来てください」
とお願いしに行ったら
「お前らがやる気がないから部活にはいかない」
そんな言葉が返ってきた

裏切られたような気持ちになり
何も言い返せなかった
「夏休みが終わり療養したら部活をみる」
っていったじゃないですか。。。と

私のモチベーションは下がり
部活に行けなくなった

中途半端

幽霊部員を続けた半年後
「辞めます」と顧問に伝えにいった

「中途半端なレベルの高校の生徒は
中途半場なやめ方しかできないんだな」
と言われた

それ以来
「中途半場」という言葉には
人一倍抵抗感を持ち続けて生きてきた

手放す

もう高校生のときに抱えてしまった呪縛は
手放して浄化させてあげるときがきた

(親でもありがちなことだが)
先生は自分がそんな言葉を
私に言ったことなんて
覚えていないだろう

もう会うこともない人の言葉に
呪縛されることはない

いまの私が
高校生の私に言いたい

「よくひとりで頑張ってきたね」
「夏休みをひとりで乗り越えてきたんだね」
「辞めるという決断をよくできたね」
「限界と思うまでよく頑張っったね」
「全然中途半端じゃないからね」

高校生の私を
受け容れ
認め
赦し
愛しています♡

中途半場だっていいじゃない

だって
自分の本音に寄り添うことのほうが
自分を大切にしていることになるから