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#104 この夏休み、なにしますか?

暑い。37度。自分が小学生のとき(30年以上前)30度。帽子かぶれとか外出禁止とか言われた。フランス革命のころの記録だと27度。いまはクーラーが生活保護上必要な時代。大人になって学校の夏休みが気になる。子どもは夏休みというのがあるのか?

夏の課題にでるサマーワークっていうのは見るだけでげんなりしませんでしたか?なんか、やる気なくす。夏のイラストがへぼい。よろこんでやってるような人いるんだろうか。力が付くとは思えない。といいつつ多分出すだけ出す。

中学時代、ひまなんで理科の自由研究でもしようと理科室にいくと先生がいて、もう一人A君がいたので、一緒に適当に水を調べた。こういうのは記憶に残る。成績は低迷でした。なぜか吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んで、油揚げってお豆腐を上げてるんだと知った。感想文は賞とトロフィーもらった。すでに紛失ですが。国語の授業は今思うに秀逸だった。

昼下がりの誰もいない理科室の薬品をつかって研究レポート書いたけど、レポートの書き方は知らないし、内容は忘れた。大学時代に自転車で山陰と九州をまわって青の日本海とイカ釣りの漁火をみた。これって主体性?

おかげで誰かを当てにすることがなく、自分でなんとかするという極めて非効率な学習方法だけはみについている。

小学時代だと、朝のラジオ体操のあとに誘蛾灯に転がるかぶとむしをとって味噌汁とお漬物とトマトのごはん食べたこと。午後は学校のプール。遠出なんてなかった。花火大会といっての地方の田舎だとお口汚し程度の花火だ。

ただ、小学生時代にはじめて東京にいった。当時東京は夏は扇風機でしたよ。ビルだけ冷房が効きすぎていた。高田馬場の駅の水たまりにころがったドライアイスをけって煙をだして時間を潰した。羽田も見た。

考えてみると部活と勉強と塾に追われることもなかった。畳にねころんで扇風機にあたり風鈴の音をきいて昼寝する。そこにお盆の親戚が来る。その程度。お盆の行事もしなくなった。面倒なんだろう。それに共通話題もなさそうだ。お盆過ぎには夕刻に涼風が秋を連れてきて、なんとなく焦る。いつのまにか秋になる。

コミュ障というのは若者だけでなく誰にでもあてはまる時代になった。皆それそれに個性という孤独を手にしている。孤独以上に孤立が蔓延している。これからは孤独に耐える力がいる時代かもしれない。夏の庭を終日ながめても飽きない精神。

もはやそういう風情はないのなら、豊かってなに?と夕刻のヒグラシの声に耳を傾ける。