「みてきたもの」がもたらす絶対的肯定力
やっほーーーー♪
こうのみちこです。
常日頃から、自分で自分を観察することをしていても、
自分ではわからない。。。
自分では気づけない。。。
「わかった」はずが、わかってなかった。
とか、
他者と関わること、
経験すること、
これらが自分を深めていく、
自分を知ることになる。
自分で思っていた自分と違う自分にあったり、
なんでコレが起こっているんだろう。。。が、
わかったり。
この「わかる」が、
私のひとつのよろこびであり、
好みでもある。
去年は、母とだけでなく、
父との時間も当然増えていたわけなんだけど、
父が自分勝手で、有無を言わせない、、
そういう人だから、
という前提、
関わると面倒くさい、
っていうか、
こちらの言い分なんて聞いてくれない。
と、
一線を引いて過ごしていた。
けれど、
母が生活がままならなくなり、、、
母が入院し、、、
母が亡くなり、、、
と、
父と一番関わっていた、
母がいなくなることで、
私が父と関わらざるおえなくなり、
父という人と向き合う、、、
父という人を知る、、、
ことになった。
弱くて、
脆くて、
甘えてばかりの、
それでいて、
矜持ばかりにしがみつき、
男とはこういうもの、
を振りかざす。
虚構の王
あぁ、この人は、
お母さんに依存し、甘え、守られてきたんだな。
と、
お母さんは、口では態度では、
恨み、文句ばかり言っていたけれど、
結局、一緒にいるということで、
お父さんの願いを叶え続け、
お父さんを許してきたんだな。
と、
色んなことを片付ける中で、
感じたんだよ。
何よりもね、
お父さんに何かしても、、、、
思いやりややさしさ、愛情を送っても、
返ってこない。。。
のよ。
別に見返りが欲しくてやったことではないし、
私がやりたくてやったことだから、
それでいいんだけど。
母とのそれであった、
そういうものの循環がない。
というのは、
中々のコントラストでw
なんだコレ?
ってか、めちゃくちゃ疲弊するんだけど!
と、
半ばキレながら観察しているとね、
うわぁーーーーーーーーーーーー!
イヤだ!
イヤだ!
と、思いながら、
ダイソン並みの吸引力をもつ、
クレクレ男子に好かれ、
もーーーーしょうがないなぁ、、、、と、
愛してしまう、
許してしまう、
のは、
このお父さんとお母さんの関係をみてきたからだーーーー!
と気づいた。
無意識に、
自分に自覚なく、
もうそれはナチュラルな肯定。
別に母に、こうやって男を愛するのよ。と、
教わった訳ではない。
私が見ようともせず、
それはそれは長い年月、
みてきたもの。
ただ、それだけなのに。
ナチュラルにそれが正解だと。
ナチュラルにそれが肯定され、
デフォルト化された。
人間こうのみちこ的に、
自分を気遣い、大切にしてくれる男性を求めている
はず。
なのに、
中々の吸引力をもつクレクレ男性がくる。。。
それを許してくれる、
それを甘えさせてくれる、
わかるんだねw
てか、
マジ無理なんだけどーーーーー!ww
なんで、
このループ終わんないかな~と
ずっと思っていたけれど、
父がそういう人だったんだ。と気づいて、
納得。
ループ切れたな。
と
思うw
ちなみに、
お父さんのお母さん(私のおばあちゃん)は、
まだ健在で、
お母さんが亡くなってからというもの、
私に頻繁に電話してくるようになった。
そして、
孫の私に言うことは、
お父さんの面倒をみないの?
(こんなに直接的な言い方ではないけれどw)
なんだから。。。
頭が痛いw
親子の関係性を、
どこまでも、どこまでも、
投影しているなぁ。
と、
思ったよ。
私は一抜け!!!
愛したいものを
愛したいように
自由にいきよ~~~~~と。
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