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第二話


◉大学受験

国語は全くだめでしたが、
当時好きだった体育か社会科の
高校教師になりたいと思っていた私は
教育系の大学を志望していたのでした。

運動会
バレーボール大会 時代を感じる体操服ww


社会科では特に歴史が好きだった私。
仁徳天皇陵古墳の写真をみて
感動したのを覚えています。
あの独特なフォルムを見た私は
「いつかこれを見てみたい。」
と興奮したのを覚えています。
それをクラスメートに話したら
「そこに行ってその形が見られるか」
なるほどと思った私がそこにいました。
確かに上から見た写真。
行ってもそんな形で見られる訳がない。
その時の私はそれには気がつかなかったのです。
古墳マニアとまではなりませんでしたが、
クラスメートとはちょっと違うところに興味を持つ
不思議ちゃんだったかもしれませんね、私。

実際に大阪に来てから、堺まで古墳を見に行った私。
あの独特なフォルム。
あの感動したフォルムを見られると
信じていた私・・・
呆然とする私・・・
クラスメートの言うとおりだったのです。
目の前に広がっていたのは
あの魅力的なフォルムではなくただの森でした。

当時は知る由もなかったことですが、
気球に乗っての古墳見物。
「あのフォルム」
この目で観る日を待ちわびますが、
計画は頓挫とんざしているようでなんとも嘆かわしい。
新しい事業の立ち上げっていつの世も大変ですね。

次にハマったのは近代史。
当時の近代史はあまり重要視されず、
担当の先生たちはさらっと飛ばしていくような
史実だったのです。今も昔も変わりません。
やはり受験がメインだったものですから
あまり重要視されていなかったのかもしれません。
そんな中、満州から引き揚げた
私にとっては近代史が魅力的でならなかったのです。
興味をもって勉強しました。
全く受験に意味がないのに勉強したのです。
そう愛してやまなかった近代史。

これは幼少期を満州で過ごしたことが
影響しているように思います。
中国人、朝鮮人、ロシア人がご近所さんでした。
それぞれの国の文化、考え方を日常として
幼い私が感じてきたからかもしれません。

幼いころのかすかな記憶。
お隣に両親を亡くした帝政ロシアの男の子が
おばあちゃんと一緒に暮らしていました。
復活祭のパーティーにお呼ばれしたことがあります。
カラフルな玉子が印象的でした。

反対隣には中国人の学者さん。
そこには執拗に勧誘する中国人が来ていたのです。
なんとそれは共産党入党の勧誘だったのです。
しかも勧誘しているのは
毛沢東の代理人だったとのこと。
時代も時代、周りには歴史を動かすような人物の
そばにいた人がうごめいていたのです。

ある日、母が新聞を指さして叫んだのです。
「あっ!この人!」
その写真を見て私は驚きました。
そこにはあの勧誘していた人が載っていたのです。
あの学者を勧誘していた人は超々偉い人だったのです。
私の周りで歴史が動いていたのです。
その方はのちに中国ではトップクラスに
なっていたのだと母から聞いたのを覚えています。

いよいよ大学受験。
ハンドボール部の顧問に勧められて、
現在の筑波大学にあたる東京教育大学を
受験することにした私。
「お前の成績やったら大丈夫やろう」
先生は気楽に言ってくださっていました。
私も気楽に考えていました。
「大丈夫だろう」 
当時は安心していた私

最後は神頼み(✿◡‿◡)

◉初めての挫折


『不合格』
届いた通知を見て私は衝撃を受けたのです。
運動ばっかりしていて、
受験勉強をしてこなかったので
仕方がないといえば仕方がないのですが。
「先生も絶対大丈夫って言ったじゃない。」
複雑な感情にさいなまれました 
 
『不合格』
初めての挫折でした。最悪でした。
父にも激怒されて。泣きっ面ハチとはこのこと?
傷ついた私の心に塩でも塗り込むように
父の攻撃は続いたのです。
はたして私は愛されていたのか、心配だったのか・・・

それでも父は
「大学へ行け」
と言い、浪人することとなります。

女性で浪人は当時では珍しいことだったのです。
父が希望するように福岡にある教育系の大学を
目指すことにしたのです。
しかし、当時は予備校があるわけでもなく
自主学習しかありません。
私は勉強もせず、友達が勤める証券会社へ
しょっちゅう行っていたのです。
仕事ではありません。遊びです。
受験勉強よりよっぽど楽しいことを
見つけてしまったのです。

今では考えられないことですが、
当時その会社は支店を開設したところで
まだお客さんが少なく
そこへお邪魔することが許されていました。
実にのどかな時代だったのです。

そうしているうちに向かいの証券会社が
テレタイプをする人を募集したのです。
「テレタイプって?」
これは通信できるタイプライター
のような機械だったのです…
詳しくはググってくださいw

友達が勤める証券会社の人が
「あそこに入ってテレタイプを習ったら?」
と薦めてくださったのもあり
好奇心旺盛の私にヒットしたワード
『テレタイプ』
このワードはあの仁徳天皇陵の興奮を
彷彿ほうふつさせましたさせました。
あれ以来のワクワクだったのかもしれません。

テレタイプで真剣にお仕事中


好奇心旺盛、興味津々の私は
その募集にいそいそと応募し、
そして見事採用を勝ち取ったのです。
父の望む大学進学に反発して、花のOLになった私。
父は諦めていたのか
そのことに触れることはありませんでした。

紙とペンの時代です

そんなこんなで私のOL生活が
スタートすることになったのです。
入社した会社は大阪に本社があり、
のちに準大手の証券会社にまで
成長しましたが、その後破綻することとなったのです。

まさかその会社で今の夫となる人生の伴侶に
出会うことになるとは夢にも思っていませんでした。

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☆〈プロローグ〉 ◉私とは ◉太平洋戦争勃発 ◉日本への引き上げ ◉引き上げ船 ◉祖父の死と父の帰還

☆〈第一話〉 ◉子供時代 ◉高校時代

☆〈第三話〉 夫との出会いと結婚 ◉夫との出会いエピソード ◉結婚生活

☆〈第四話〉 幸せな家庭が一転 ◉夫の独立とバブルの崩壊 ◉阪神淡路大震災

☆〈第五話〉 副業に挫折で83歳の私の稼ぎ方とは ◉ネットワークビジネスに挫折した私 ◉ネットワークビジネスの問題点

☆〈追伸〉

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