騎馬民族国家説、続きの続き

20110810のもの。


このブログは、だいたい通勤の電車の中で書いて、昼休みか翌朝にアップしているのですが、夏の予定を組み立ててみると、通勤時間も仕事をしないとならない、それでも間に合わないという結果でした。とくに20日に重要な講演があり、それまでは暑い中、頑張らないとという結論です。
 このブログ、ひょんなことから、昨年8月頃に初め、自分でも頭や気分の整理に欠かせないものとなっています。また個人的なものですが、政治・社会批判を書くことも勉強になりました。忘れてはならないことは書く必要があると感じます。

 20日がすぎれば、また戻りますが、毎日、相当数の方がみてくれているようですので、夏季休暇であることを申し上げます。

 職場も今日は事務・図書は休み。
 本郷の交差点で、前回買い損ねたビッグイッシューを一冊、購入。彼も暑そうで、お互い大事にしようといいあった。いま10時、いまから、節季働きです。暑い中、お仕事に、ご家庭に、どうぞ御大事に。

 ただ、以下は、騎馬民族国家説についての続きの続きです。
 騎馬民族国家説が、ただ、「天皇族はどこから侵入してきたか」という問題提起でなかったことはもっと強調されてよいことであろうと思う。もちろん、彼らの展開した神話論は基本的に三品の比較神話学研究によったものであるが、騎馬民族国家説は、その上に、ユーラシア北部の遊牧民族の「鍛冶王」(シュミード・ケーニヒ)の神話の影響をつけくわえた。つまり、岡と江上は、いわゆる「神武東征」神話において神武=イワレヒコをみちびいたというヤタ烏=金鵄には、そのような鍛冶王の神話が反映しているのではないか。ユーラシアの建国神話には、同じ様に王の進軍をみちびいた鳥(鵄や鷹)の神話が多いが、その同じ地域に鷲・鷹・梟などをかたどったチュードという銅製品が分布している。それはシャーマニズムの呪物であって、山の神や天神の使者の依代であったというのである。

 ようするに、ユーラシアの「鍛冶王」の神話は、人々のシャーマニズムをベースとして、しばしば「鳥」などの姿を依代として自己の意思を示したのであるが、それが「神武東征」神話にも反映しているのではないかというのである。

 東洋史家の護雅夫は、この「鍛冶王」についての議論を引き継いで、「鍛冶王」をシベリアからユーラシア北部で活発に活動していることがしられているシャーマンに結びつけた。その分析のおもな題材となったのは、五世紀初頭にモンゴル高原に建国した突厥(テュルク、トルコ族)の建国神話である。それによると、突厥(テュルク、トルコ族)の始祖神話は、牝狼もしくは狼の血をひく族祖が高山の山頂に天下り、その山の洞窟で男子を産んで養ったという物語である。これは、王族の墳墓から発見された狼のレリーフなどによると、突厥の族長が本来は狼の姿をしたシャーマンであったことに由来するということで、『隋書』に突厥が「鬼神を敬し、巫覡を信じた」という巫覡=シャマニズムが、狼をトーテムとするものであったことを示しているという。
 狼のこもった山の洞窟は巨大で、内側が広く、そこで育った十人の男子の家は多数の子孫に分かれたというが、その山は天山山脈東部に位置するボグド・ウーラ(「聖なる山」)と想定できる。そして、後に、彼らはその洞窟をでて、金山(アルタイ山脈)の南麓に移って鍛冶、鍛鉄の業に従事したと伝えられるが、このボグドーウーラも、金山も、鉄を初めとする鉱物の大産地であって、後に遊牧帝国を構成する彼らの実力が、鍛冶をめぐる諸技術にあったことは確実であるという(護雅夫『古代遊牧帝国』、中公新書)。これは突厥が最初に従属していた柔然(モンゴル系の民族)に「鍛奴」という扱いを受けていたことによって論証できるというのが中央アジア史研究の結論である。
 突厥の王は「毎年、もろもろの貴人をひきいて、その祖先である狼のいた洞窟を祭る」(護の現代新書。一三七頁)ということであるが、「狼」は突厥のシャーマニズム、「洞窟」は、そこで身につけた鍛冶の技術を象徴するものであろうか。突厥の王が「鍛冶王」であり、同時にシャーマンの宗教の元締めであったことは、相当の確度をもって論証されているといってよいようである。実際に、七世紀にモンゴル高原にいたトルコ民族の史料には「身体は人間で頭は狼」の姿をしうた「乞食」(シャーマン)が存在していたというが(140頁)、護雅夫は、こういうシャーマンの権威は、鍛冶師としての異常な能力、聖なる能力をもつことによって支えられていたと推定している。突厥の王制は、歴史的にはそこに淵源していたということになる『遊牧騎馬民族国家』(講談社現代新書一九六七)。

 そして、この「鍛冶王」という観念が日本の神話の中にも大きな問題として存在することは、溝口睦子『アマテラスの誕生』(岩波新書)が論じている。騎馬民族国家説の問題提起は、ここ五〇年ほどの間、日本の「古代史」の学界ではほとんど無視されていたといってよい。もちろん、この学説を同世代の研究者として受けとめた人々は別であるが、こういう状況の中では、溝口の仕事は画期的なものであったということができる。新書のもとになった著書(吉川弘文館)をふくめ、溝口の議論全体に騎馬民族国家説の影響が強いのをどう評価するかは別であるが、この点は大事だと思う。
 溝口の注目したのは、前のエントリでふれたように、タカミムスビである。(ただ指摘それ自体としては、谷川健一氏の『青銅の神』(30頁)が早いはずである)。それをただ「鍛冶王」ではなく、「火山」を入れようというのが、『かぐや姫と王権神話』以来の私見であることは何度も述べた。

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