反原連しゃつCCI20191111

首都圏反原発連合の集会でのスピーチ


 上はスピーチの御礼にいただいたシャツ。どうも有難うございました。下記はスピーチの草稿。こういうスピーチははじめてで、緊張して棒読みしたり、はしょったりしたのでお聞き苦しかったと思います。最後の方は同行した友人に急に話が(例によって)飛んでたといわれたので、補ってあります。

 友人が寒くなり、集会終了前にかえり申し訳なかったですが、ましたが、河合弁護士が、原子力規制委員会の田中前 委員長が現状のような状況では、原発は一度すべてとめるほかないと発言している。原発側での亀裂が強くなっているという報告や、関電問題での生々しい状況報告がありました。

 20191110
 3,11の4年前に日本地震学会の出版した『地震予知の科学』という本は「東北の太平洋側のプレート境界では、津波の残した砂の調査によって、五〇〇年に一度程度の割合で巨大な地震がおきる」としました。この巨大地震は9世紀、869年に起き、15世紀にも起きていましたから、これはそろそろ起きるという予知でした。現在では、その他、地震学界でも、また政府の地震調査本部でも東北沖の巨大地震について様々な予測がおこなわれてたことがはっきりしています。
 これに対して原発推進の側は「地震学界は予算が欲しくて地震予知をいっていた」「想定外だった」というウソを言い続けています。最近では、もうあんな巨大地震はない、南海トラフ大地震は対策をとっている。原発はもう安全だという言い方です。
 しかし、この地震火山列島に安全な原発はありません。ここでお伝えしたいのは日本列島でおきた巨大地震は東北沖と南海トラフのみではないことです。近畿地方では歴史上三回の巨大地震がおきています。まず奈良時代に近江・美濃で大地震が起きて、聖武天皇が作った近江の紫香楽宮が潰れています。そして平安時代の末にも同じ京都・近江・若狭で大地震が起き、津波がおきています。ちょうど平清盛が死んだ直後でしたので、これは清盛の怨霊だといわれました。さらに秀吉の時代におきた大地震は京都の伏見城を破壊し、近江・若狭・越前を揺らし、大きな津波がやってきました。
 それからすでに450年近くになりますが、この近畿地方大地震が次にいつ来るかについての予測はまだありません。この大地震は三つのプレートが日本列島を折れ曲がらせ弱くなっている近畿地方を繰り返し襲うもので、いくつもの要素が働いていますから、予知は現状では困難です。また地震を起こした断層は大きく異なっており、本当に同一の類型の地震としてよいかは様々な意見がありうると思います。しかし、このような大地震は100年単位でみればかならずおこるものです。

 この地震が重要なのは、若狭越前の原発を襲うからです。若狭越前の原発をとめるか、この地震が先にくるか、これは時間との競争です。私たちが火山の大噴火との競争もやっていることはいうまでもありません。もちろん、この時間との競争は人類がこの列島に棲みはじめてから今までという永遠に近い時間の中で問われているものです。今日のスローガンの「KEEP CALM AND NO NUKES」は、あせらないでそういう長い時間の中に自分を移動し、トランスしながら、一刻も早く原発と核兵器を廃絶することを誓おうということだと思います。
 私は、歴史学者として、この覚悟は、いまもっとも必要な歴史の見方だと思います。それを多くの人に伝えるために一つの提案があります。来年の年賀状には1945年を起点とするカレンダーを使いましょうということです。このカレンダーは決して突飛なものではありません。自然科学者の使うカレンダーが放射年代測定法が発見された1950年を現在に設定しているのとほぼ合致します。このカレンダーはおそかれ早かれ世界中で基準になるでしょう。

 今日は天皇即位のパレードがあったようですが、歴史学の立場からいって、平成だとか令和だとかいう元号は学術には不要のものです。同時に、現在の世界では西暦、キリスト教暦も適当ではありません。釈迦の誕生を起源とするブッタンや、イスラム暦もあります。現在の時間を管理しているコンピュータのユニックス秒は1970年が起点となっています。そんないい加減なことでなく、私たちはあらためて人類史のカレンダーを考え直す権利があります。私たちの住む大地を守り、保守することをつねに意識できるカレンダーが必要です。カレンダーを現在の世界にとって必要なものにきりかえることです。
 来年は一九四五年の核爆発の後、75年になります。核紀元75年、核時代後75年です。来年は国連で核兵器禁止条約が発効する可能性がある年です。それにあわせてこのカレンダーを使う年賀状をふやしましょう。日本にとっては核時代紀元の出発の年はアジア太平洋戦争の戦争責任が世界中から問われた時でもある訳ですから、この核時代カレンダーを歴史の起点にすることは大きい意味をもつと思います。
 私たちは大地をまもるために過去をよく見なければなりせん。過去をみてその語ることに耳を傾け、過去を共有することがすべての出発点です。だいたい現在の安倍政権は8年前、多くの人びとを襲った悲劇さえ見みようとしません。それは結局のところ、自分たちで原発を推進してきたためです。そして2002年の地震調査本部の東北沖についての地震予知を葬ってきたことを隠すためです。地震調査本部の長期予測をまもっていればハザードマップはもっと内陸側に引かれ、多くの人びとの命が助かっていたことはよく知られるようになりました。こういうことをやる人々は「保守」ではありません。なによりも大事な人間の命と大地を破壊する奇怪な破壊者です。
 保守というのは、そういうことではありません。私たちは、過去を大事にすること、その意味での保守が根本的な意義をもつ時代に入っています。もちろん、私たちが未来への進歩の希望によって連帯することは自由ですし、結社の自由に属することです。今日、ここに集まっている方々は、どちらかといえば未来への進歩の希望という心情を基礎にして生きてきた方々、どちらかといえば進歩勢力といえる方々だと思いますが、もう日本の支配政党には正統的な保守らしい保守はいません。日本ではそもそも普通の意味での保守の力は弱かったわけですが、現在のひどい状況をみると、それは極点にまでいっています。日本の進歩勢力は、保守の役割も負わざるをえない進歩勢力です。
 現代は保守を前提として、未来を考える時代です。現代の危機の深さは保守と進歩が根本的なところで一致せざるをえないような時代であるということだと思います。私は、これは非常に重要なことで、そういう思想的な覚悟を固めることは、おそらく今、世界でも日本の進歩勢力にしかできないことで、しかも、それは世界思想の今後をうらなうような非常に大事な位置をもっていると思います。
 世界の動きは複雑でしかもグローバルでスピードも速いですから、現実を直視するという普通の言葉が、意味をもちにくい時代になっています。世界には、現在も未来も不確実であるという感じ方があふれています。そして率直に言って、そういう考え方には正しいところあるのではないでしょうか。若い人々と話していると、そう簡単に未来への希望を語ることはできない時代になっていることを痛感します。共有できるのはまずは過去と思い出だけ。しかも過去は誰でも傷ついている。私にもそれがやっとわかるようになりました。しかし、こういうとき、KEEP CALM 、あせらずに、この国の過去、社会の過去、個々人の過去をふりかえり、折り合いをつけていくことがもっとも大事なことなのだろうと思います。
 私も反原連の集会やデモに何度か参加してきましたが、これがこの危機の時代の先頭につねに押し立てなければならない運動の一つであることは明らかです。最後にこの集会を維持してきた皆さんに深い敬意を表明させて下さい。以上です。
         20191110

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