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『現代語訳 老子』(ちくま新書)――「はじめに」

 『老子』は、まずは「王と士の書」として読むべきものであろう。正しい王の登場はどのように可能になるか、「士」はそのためにどう行動すべきか。老子は、それを正面から語り、国家のために悲憤慷慨(ひふんこうがい)する。しかし、『老子』は東アジアで初めて体系的に神話と哲学を語り、人の生死を語った書であって、そこにはさらに深い含蓄がある。
 『老子』は世界各国で翻訳された、『聖書』と並ぶベストセラーである。ただ『老子』は「哲学詩」の形で述べられていることもあって、今のままでは実に分かりにくい。本書ではその詩的イメージを大事にして具体的に読むことにつとめる中で、従来の解釈を変更したところも多い。また『老子』全八一章を、内容にそくして第一部「「運・鈍・根」で生きていくこと」、第二部「星空と神話と「士」の実践哲学」、第三部「王と平和と世直しと」の三部に並べ直した。これによって少しは分かりやすくなり、また『老子』が現代人の身にも迫ってくるところがあれば幸いである。
 なお、各章につけた解説では、筆者の専門が日本史であることもあって、日本の神話・神道にかかわる話題にもふれた。本居宣長(もとおりのりなが)は『老子』について、ある人から「神の道は、からくにの老荘が意にひとしきか」と問われたときに、「かの老荘がとも((輩))は儒者のさかしら((賢しら))をうるさみて、自然(おのづから)なるをたふと((尊))めば、おのづから似たることあり。されど――」と答えたという(『古事記伝』)。ここでは「されど」以下の部分は省略せざるをえないが、宣長の発言は、伊勢神道(いせしんとう)が『老子』の影響の下で教説を整えたことをふまえたものである。鎌倉時代、『老子』が伊勢神官の必携書であったことに注意しておきたい(「古老口実伝」)。現在では福永光司『道教と日本文化』に続くさまざまな仕事によって、日本の神道がより古くから老荘思想(道教)の影響をうけていたことが明らかになっており、本書では、『老子』の理解に必要な限りではあるが、それらにできる限りふれるようにした。

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