首相文書アーカイブ法案の必要について (2019年2月1日)

 国会では国民民主党の玉木雄一郎氏が演説草稿のためにタブレットを利用するのは当然だと主張している。野党の側がどのような文房具を使うかは野党の側の自由であろうと私も思う。

 ただ答弁する大臣及び役人の側が用意した文章は、すべて紙として残すのが行政府の義務であろう。答弁資料と口頭答弁の録音資料は行政府の国会に対する責任として保存すべきものであり、それは行政府から国会のアーカイヴズ、つまり国会図書館に引き渡すべきものであり、その際、国会図書館の側には正確な引き渡しが行われているかどうかをチェックする十分なアーキヴィストの要員が保障されなければならない。そもそも、そういう国会アーカイヴズをいつまでも国会図書館にゆだねておいていいかどうかも問題となる。これは国権の最高機関である国会にふさわしいアーカイヴズのあり方の問題である。

 こう考えてくると玉木氏の問題提起は、国務大臣の答弁資料のアーカイヴズとしての保存一般の問題に繋がっていく。玉木氏も、文房具の問題から、国政にとってより根本的な、この問題に議論を広げてほしいと思う。

 さて、国務大臣の国会関係史料という場合に、鍵になるのは首相の国会での演説と答弁などのデータアーカイヴの問題である。

 周知のように日本では国務大臣の国会での発言のために、国会前日は霞ヶ関の省庁では、終夜、電気がつきっぱなしで、また深夜帰宅のためのタクシーが客待ちをしているという。これは無駄遣いであり、そもそも異常な事態である。イギリスの国会の答弁の様子をみていると、脇から役人が助けをだすなどということはありえない席の配置になっている。そんなに広くない会議室で2メートルも離れていないところで面と向かって質問と答弁、議論が行われる。机もないからメモなども自由には使えない。事前のレクチャーは別として答弁メモなどは作ってもしょうがない訳だ。だから、霞ヶ関が終夜明るいなどと言うのは、常識的には国辱ものの風景である。内閣は無能ですということの表現のようなものだ。

 とくに問題となるのが首相の国会関係文書であろう。福田康夫前首相が首相が退任する際に公文書を保存するルールを作るべきであり、記録を残すルール作りと首相専属の「記録担当補佐官」の創設を提言した。自分の在任期の文書は段ボールに入れて持ち帰ったというのは驚きの話しで、こういうのは平安時代の役所文書の処置の仕方である。たとえば愚昧記という貴族の日記の用紙は検非違使庁の貴重な文書が使われているが、これは記主が検非違使別当をやっていたときの文書を持ち帰って自分の日記の用紙にした訳である。

 これが変わっていないというのは驚くべきことだ。福田氏はご自分の経験と見聞からして、このままでは首相文書は廃棄や散逸してしまうという。福田氏が「日本の政治、行政のトップの記録は残して当然だ」と述べるのは正論である(毎日新聞2019年1月19日)。福田首相は就任直後に公文書保存に意欲をみせた。そのとき歴史学界が大きな期待をよせたことを覚えている。  そもそも、首相文書は国民の税金をつかって作成されたものであるから、在任中に書いたもの、口述したものはすべて公文書である。アメリカ大統領の作成文書は在任期間中のすべての行政文書が(メモもふくめて)アーカイヴされるのは有名な話である。アメリカの大統領の文書は「大統領記録法」によって細大もらさず保存される。大統領の時間はすべて公的なもので高い金で国民が買い上げたものであるから、詳細な記録が必要であり、その職務遂行に関して作成・入手された文書となれば破棄するのは犯罪である。それゆえにホワイトハウスのスタッフは大統領に関する記録を分類してファイルを作り、厳密に保存されるのだ。それをアーカイブするための大統領の名前を付けた図書館がアメリカ各地にある。

 日本でも同じものが必要である。急ぎ、首相文書アーカイブ法案を議員立法で作ったらどうであろうか。なお、首相文書の公開には主題によって一定の年限が必要になることはいうをまたない。ただし、それには例外を設定してほしい。つまり首相文書アーカイブ法案には、国会での演説・答弁に関する文書、メモなどはすべて即時にオープンすべきである。これは国民が自分たちが時間雇用している首相が何を考えているかを時々刻々正確に認識するのは当然の権利だからである。

 なお安倍首相の演説メモや答弁メモには振り仮名がふってあるというのがもっぱらの噂であるが、それがどの程度のものであるかにかかわらず、これもすべて即時に公開すべきものである。 首相の演説草稿のどの漢字にふりがながふってあるかは小学生に教えた方がよい。

 是非、与野党をとわず、できるだけ早く議論してほしいものだ。少なくとも「改憲」の議論よりは先であろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?